今の状態、正直にお話します。(患者手記)
公開日:2026年1月10日
執筆:関東支部 根岸良昌
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
会報の9月号でも私の治療歴について書かせていただきましたが、その後の様子について報告させて頂きます
53歳になった私、根岸良昌が胸膜中皮腫という病を抱えてから、早いもので3年半という月日が流れました。現在も治療の真っ只中にあります。
最近の私の体調についてお話しすると、胸にできたコブに対して放射線治療を行いました。4グレーという比較的弱い出力でしたが、先生によれば細胞は死滅しているようだとのことで、今は大きさが変わらないか慎重に経過を見ているところです。今年の8月には、一度消えたはずの心臓近くのがんが再増大し、心膜に水が溜まる「心タンポナーデ」に近い状態になって10日間ほど入院しました。あの時は本当に息苦しくて、病院へ行くとすぐさま水を抜く処置が取られました。さらに、最近は首のあたりにも新たなしこりが見つかり、今後の状況次第ではそこにも放射線を当てることになるかもしれません。
私の治療の歩みは決して平坦ではありませんでした。約1年前まではオプジーボとヤーボイの併用療法を続けていましたが、効果が薄れてきたため、アリムタやシスプラチンといった抗がん剤に切り替えました。しかし、これらの薬は私には合わず、激しい吐き気で食事が喉を通らなくなり、体力も著しく落ちてしまいました。結局、今は日常生活の質を維持することを優先し、副作用の少ないオプジーボの単独療法に戻っていますが、あまり効果がみられません。
また、治療の過程で「副腎不全(下垂体機能障害)」という重い後遺症を負いました。免疫のバランスが崩れ、体内で必要なホルモンを自力で作れなくなってしまったのです。そのため、私は一生、ステロイド薬のコートリルを飲み続けなければなりません。この薬は単なる炎症止めではなく、体を動かしたり熱を出したりする際に必要なホルモンを補う、いわば私の命綱です。かつて旅行中にこの薬を忘れたことがありましたが、あの時は激しい倦怠感に襲われ、本当に死ぬかと思うほど苦しい思いをしました。当時は「少しくらい飲まなくても大丈夫だろう」と自分勝手に判断して量を減らしたこともありましたが、今ではその恐ろしさを身に染みて理解し、肌身離さず持ち歩くようにしています。
身体的な機能については、右肺がほぼ機能しておらず、現在は左肺だけで呼吸をしています。以前は子供と50メートル走で競い合うこともできましたが、今は2から3メートル走るのが精一杯です。重い荷物を持って動くことも大きな負担になりますし、冬場の寒さは体に堪え、強い倦怠感を引き起こします。それでも、部屋にあるランニングマシンを使ったり、お風呂で体を温めたりしながら、少しでも動ける状態を維持しようともがいています。
病状が進む中で、私は将来への備えも始めました。これは妻からの強い提案があったからです。まだ元気で動けるうちに、緩和ケアや介護保険について相談しておこうという話になりました。病状が悪化してからでは冷静な判断ができず、精神的なダメージも大きくなるからです。私たちは病院のトータルサポートセンターを訪ね、ソーシャルワーカーさんや看護師さんから、ホスピスや訪問看護、緩和ケア病棟についての具体的な情報を集めました。介護保険についても、市役所へ直接足を運んで申請を行い、速やかに「要介護2」の認定をいただきました。客観的に見れば、私の人生の終わりが近づいているという現実は否定できませんが、それを冷静に見据え、家族のために環境を整えておくことが今の私にできることだと考えています。
そんな状況でも、私は電気工事の仕事を続けています。最近は、キッチンのリフォームに伴う専用電源の配線や、浴室暖房の設置といった現場に夫婦二人三脚で向かっています。重い荷物を運んだり、狭い場所に入り込んだりする作業は、今では私より詳しくなった妻がサポートしてくれます。仕事をして頭や体を使っている時間は、病気のことを忘れさせてくれる貴重なひとときです。
私の心の持ちようは、一貫して「なるようにしかならない」というものです。最初の診断時以外は先生に余命を尋ねたこともありませんし、決められた時間に縛られるのも好きではありません。ただ、今日という1日を精一杯生きることだけに集中しています。幼い子供たちにはまだ病名を伝えていませんが、彼らの前では不思議と元気に振る舞えますし、家族と過ごす賑やかな時間が、私の最大のエネルギー源になっています。
いまは、遺伝子パネル検査でみつかった遺伝子異常に対応した治験に参加できないか、関係医療機関の先生方とコミュニケーションをはかっています。
最後に、同じ病と闘っている皆さんへ伝えたいことがあります。毎日よく食べ、よく寝て、よく運動すること。当たり前のことのようですが、これが何より大切です。特に筋肉量を維持することは、免疫力を保つことにつながると信じています。私は毎日プロテインを飲み、筋トレを欠かしません。病状が悪化するという現実は確実にやってきますが、考えすぎて落ち込むのはもったいないことです。前を向き、規則正しい生活を送りながら、日常の何気ない幸せを大切に過ごしていきましょう。
私にとっての日々の生活は、まるで少しずつ空気が抜けていくボールを、一生懸命に膨らませ続けながら進むようなものかもしれません。それでも、周りの支えを受けながら、一歩ずつ確実に、自分らしく歩み続けていきたいと思っています。
胸膜中皮腫関連記事
タワーパーキングでの石綿ばく露と胸膜中皮腫(二相性)の発症(患者手記)
タクシー運転手の職歴で胸膜中皮腫(上皮様)を発症(患者手記)
胸膜中皮腫(上皮様)とテニスボール大の腫瘍と放射線治療(患者手記)
胸膜中皮腫(肉腫様)にオプジーボやヤーボイの治療を続ける(患者手記)
怖いものは何もない:胸膜中皮腫(上皮様)患者としての病気との向き合い方(患者手記)
悪性胸膜中皮腫の発症から6年:胸膜切除・肺剥皮術(PD)から無再発を維持(患者手記)
30時間程度のアスベストばく露で悪性胸膜中皮腫を発症し公務災害認定(患者手記)
胸膜中皮腫上皮型の発症と胸膜切除/肺剥皮術(P/D)、その後の療養(患者手記)
胸膜中皮腫(肉腫型)の確定診断から2年と信頼できる病院を求めての転院(患者手記)
悪性胸膜中皮腫と診断されても、「生きる」と誓った(患者手記)
建設会社でのアスベストばく露と胸膜中皮腫の発病とその後の人生(患者手記)
悪性胸膜中皮腫(肉腫型)患者として5年を生きて:なぜ建材メーカーはアスベスト含有建材を売り続けたのか(患者手記)
悪性胸膜中皮腫の診断から免疫療法と手術の治療を経て(患者手記)