胸膜中皮腫と診断されても、明日は明日の風が吹く(患者手記)
公開日:2024年8月10日
執筆:関東支部 矢澤茂明
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
余命は半年から1年半
八王子市に住んでいます矢沢茂明です。70歳になります。胸膜中皮腫の上皮型を2023年7月に発症しました。当時、咳が結構出るようになり、町医者でレントゲンを撮ってもらいました。右肺が真っ白で、これは大変だということで胸水の検査をしました。胸水はこの頃、2リットルくらい溜まっていました。生検して確定診断もすぐされました。
主治医ははっきりものを言うタイプの医師です。余命は半年で治療しても1年半とか、最後は酸素をするとかそんな話を最初にされました。
8月末に入院してオブジーボとヤーボイを始めました。
治療がはじまってから、手と足の先に湿疹ができたことと、肩に少し痛みがあった程度の副作用でした。しかし、9回目で肝臓の数値が急に上がりました。普通の数値の30倍ぐらいになり、これはもう肝臓が爆発してしまうということで即入院しました。肝臓の方を治療中というのが今の現状です。
病気のことは家族と共有
最初に中皮腫と診断された時は、あまり知識がなかったので「どんな病気なのかな?」という程度でした。主治医が病気を治すことよりも、終末の話ばかりするので、病気のことは妻など家族も調べてくれて医師に質問を投げかけてくれるなどして助けてもらっています。長女は看護師なのである程度知識があります。私ひとりですと、間違えたりすることもあるので、私からお願いして病院には家族にもついてきてもらって、情報も家族で共有してさまざまな判断をするようにしています。
もし、私に何かがあったときには残された家族が大変ですから、閉鎖的にしないようにしています。治療は家族の意見も尊重して進めています。
私は、みんなにいつも「脳天気」と言われます。余命半年と言われても、「あぁ、そうかな」くらいで受け止めてしまいます。余命や死は気にしていないです。
先に主治医のことに触れましたが、治療がはじまってからは、さまざまな判断や対応が早く、検査などもすぐにしてくれて方向性の判断を早くしてくれることにはいつも感心しています。まわりくどい部分がなく、ストレートに話ができる医師です。
治療と日常生活
治療や療養を進めるにあたっては、体力つけないといけませんので、朝歩く、犬を連れて散歩など、とにかく体を動かすことを意識しています。食事については体重が増えるようにと、家族がごはんを多くつくってくれて最初の頃は1時間ぐらいかかって食事をすることもありました。たくさん食べて、たくさん運動することを心がけています。
私は唯一の楽しみが家庭菜園です。子どもたちがスイカを食べたいと言うので苗を20本ほど植えました。6月にさつまいもも150本の苗を植えました。家庭菜園も身体を動かすので良い運動です。
私はクリスチャンです。聖書を毎日読んで聖書の御言葉をすごく大切にして生きています。そうだからかもしれませんが、中皮腫になってもあまり動揺することもなかったのかもしれません。もちろん、治療は医師を信頼していますが、信仰があるからこそこれだけ何が起きても穏やかにかんがえられているにかな、とも思います。ただ、病気の向き合い方は人それぞれなので、その人にあったものがいいと思います。
発病した当初、治療方針などについては多くの悩みがありました。そんななか、家族が患者と家族の会に連絡をしてくれました。診断当初は、「これからどのようにしていけばよいのか」と思う中で助言をもらうことができました。
他の患者さんにも、出会いを大切にして、たくさんの協力者をつくっていただくのが良いかと思っています。
「今日を一生懸命に生きて、明日のことは考えない。明日は明日の風が吹く。3年先、5年先もあるけれども、今日一日を充実して前向きに生きる」。今後もこのような考えで日々の治療・療養と向き合っていきたいと思います。
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