お知らせ

お知らせ

胸膜中皮腫のことは少しでも忘れて楽しく生きる(患者手記)

公開日:2024年9月4日

執筆:北関東支部 高久弥生

※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

胸膜中皮腫の診断

高久弥生です。胸膜中皮腫患者です。年齢は49歳です。埼玉県在中で自宅でネイリストとして仕事をしてます。人数を減らして少し自分に余裕ができるぐらいの感じで仕事も継続中です。

中皮腫はアスベストを吸わないと発症しない病気ですが、自分ではどこで吸ったのか全く分かりません。小学校や中学校なのか、仕事の関係でボイラー室などに行くこともあったので、そこなのかなとも思いますけど、全く記憶にありません。

勤めていた会社の人に私の病気がばれるのが嫌だという思いとか、すごく悔しいですが、原因については自分の中で消化してる感じです。

疑いの段階から中皮腫だけは嫌だと思っていたのですが、実際に2023年7月に診断されました。「2年後に死ぬんだ」という感覚が出てきて、何を考えても頭の中が真っ白で、当時は毎日のように泣いてました。

家族に気持ちを伝える

少しずつ落ち着くようになってきて、これからどうしようと考えていた時に「楽しくやるしかないな」と思ってきて、夫と子供にも気持ちを全部伝えました。話をすると、ママの好きなようにやりな、という感じになり、今はやりたいことをやるようにしています。上の子は社会人になり、下の子が今年で高校1年生になりました。

病気のことを子供に隠すのはやだなって思ったので、泣きながら子供たちに伝えたことがありました。

その後、冷静に考えた時に子供の前で泣くのはもうやめようと思って、子供には病気のことは自分からはあまり言わなくなりました。ただ、上の子は少し分かってくれるかなと感じます。病気のことで何か話すと、「そうだね」「分かってるよ」みたいな感じで返答してくれて、理解はしてくれてるのだな、とは思ってます。

中皮腫の治療と薬剤師さん

これまでの治療は抗がん剤だけです。病気が分かった時にリンパ節に転移していて、手術はできないということで最初にオプジーボとヤーボイの治療を3回実施しました。しかし、左の肺に胸水が溜まってる状態だったのが右にも溜まってきたっていうことで効いてないという判断をされました。その後は、アリムタとシスプラチンの治療を2024年5月に6回目をやって終了になりました。

治療は国立がんセンター東病院(柏市)で実施してきました。最初に胸水が溜まって近所の病院に行った時に国立がんセンター東病院か中央病院(築地)かどっちがいいですかと聞かれたので、車で行ける東病院を選びました。東病院では主治医の先生や看護師さんの対応に満足しているので、現在のところ転院などは全く考えていないです。

病名を言われた時にすごくショック受けてしまって泣いてる状態の時に看護師さんと薬剤師の先生がいたのですがずっと付き添ってくれてました。

その時に、その薬剤師の先生が「これから味方だからね」みたいなそんな感じで話してくださって、そこから薬剤師の先生に何でも話すようになりました。抗がん剤で入院した時もわざわざ病棟の方まで話を聞きに来てくれたりしました。でも、その薬剤師の先生が3月末で違う病院に行ってしまったのは残念でした。

オプジーボとヤーボイの治療の際は副作用は全く何も出ずに済んだのですが、アリムタとシスプラチンの治療の際は辛かったです。2回目に入院して抗がん剤をした時に、子供のこともあったので早く退院したいという思いもあり最短で退院したのですが、帰ってきたら水も通らない、飲めば出す、食べられない寝れないという日々が続いてしまいました。主治医に伝えたところ、3回目以降は少し薬を減らしてくれたようですが、入院中は何もする気が起きない感じが続いてました。本当は4回で終わる予定だったのですが、経過観察は嫌だと主治医に伝え、6回まではやってくれることになったのでやりました。

遺伝子パネル検査に期待

その後は経過観察になってしまいましたが、それ以前に一度私から遺伝子パネル検査や治験について先生にお話をしたことがありました。それを覚えていてくれたみたいで、「今でもやろうと思う?」と聞かれたので、「やりたいと思います」と伝えました。入院していたときに遺伝子パネル検査を先にやってみようとなり、同意書にサインしてきました。「まだやれることはある」と思いながら、目の前のできることをしようと思っています。

他の患者との出会いとこれから

診断されてから4ヶ月ほど経ったとき、2023年11月に開催された「渋谷サロン編 響け!中皮腫患者の声〜中皮腫患者のアンサンブル〜」に参加して、はじめて右田孝雄さんにお会いしました。右田さんは雲の上の人みたいな感じで、すごい人っていう風に思っていたので、「頑張っていこうね」と言われたときは、「そうだな、頑張んなきゃな」と思いました。会場には同じ病気の人が集まっていて、そういう場に行ったのもその時が初めてだったので「今日は来てよかったな」と、その時すごく思いました。

病気になってから、夫とは今までどおりにしようと話しましたが、なかなか同じようにはいかない部分もありました。ただ、入院して家を留守にすることもあるので、それまで以上に協力的になってくれた面も多くなりました。

病気になるまで、今まで仕事に費やしていた時間が多かったのですが、病気が分かってからは自分の時間を増やしてやりたいことをやろうと考えられるようになりました。例えばフランス料理を食べにきちっと行ったことがないから行ってみようとか、経験したいなっていうこととかが増えてきて、自分の時間を増やすようになりました。

友人がずっと御朱印集めをしてすごい趣味な子がいるのですが、その子は私が病気になってから私にも御朱印集めを勧めてくれました。最初は興味がなかったのですが、最後は神頼みじゃないですが軽い気持ちで始めたら、結構楽しくなりました。例えば、「がん封じの神社」みたいな場所を探して遠出を考えたりしています。最近では、伊勢神宮に行きたいとか出雲大社行ってみたいとか遠出もしたいなっていう思いが出てきて、6月には伊勢神宮にも行ってきました。

中皮腫は考えても治らない病気なので、病気のことは少しでも忘れるようにして楽しく生きていくことを心がけていきたいと思います。

胸膜中皮腫関連記事

胸膜中皮腫と診断されても、明日は明日の風が吹く(患者手記)

胸膜中皮腫上皮型の発症と胸膜切除/肺剥皮術(P/D)、その後の療養(患者手記)

胸膜中皮腫(肉腫型)の確定診断から2年と信頼できる病院を求めての転院(患者手記)

悪性胸膜中皮腫と診断されても、「生きる」と誓った(患者手記)

悪性胸膜中皮腫患者として8年目を迎える(患者手記)

建設会社でのアスベストばく露と胸膜中皮腫の発病とその後の人生(患者手記)

胸膜中皮腫の発症から2年を前に(家族手記)

悪性胸膜中皮腫(肉腫型)患者として5年を生きて:なぜ建材メーカーはアスベスト含有建材を売り続けたのか(患者手記)

悪性胸膜中皮腫との5ヶ月:20231月~5月(患者手記)

悪性胸膜中皮腫の診断から免疫療法と手術の治療を経て(患者手記)

 

24時間365日受付

中皮腫・アスベスト被害全国無料相談

当サイトへのご相談・お問い合わせはこちらからご連絡ください。

中皮腫・アスベスト被害全国無料相談

0120-117-554

24時間365日受付