胸膜中皮腫(肉腫型)の確定診断から2年と信頼できる病院を求めての転院(患者手記)
公開日:2024年8月10日
執筆:関東支部 坂本 寧
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
胸膜中皮腫(肉腫型)の確定診断から2年
私は2022年の5月に胸膜中皮腫(肉腫型)の確定診断を受けました。治療を開始して2年が経ちます。今のところ、治療の副作用でかゆみなどの症状がありますが、比較的元気で過ごしています。
50歳のころ糖尿病にかかり、日頃からウォーキングをするのが日課となっていました。ある日突然、「何か息苦しい」と感じるようになりました。その頃、新型コロナウイルスのオミクロン株が流行っていました。もしかしたら、かかったのかと思ったのですが、熱は上がりませんので、放っておいてしまいました。そのうち、2022年2月に瞬間的に右の肺が座ってても押されるような気がして、近くの診療所に行きました。そうすると医師から、「右肺が真っ白です。心臓も押されているので、これは苦しいでしょう」と言われて、診療所のほうから、「病院を紹介するから、すぐ行きなさい」と言われました。
新型コロナウイルスの関係で、どこの病院も受け入れてくれない中、たまたま家の近くの大きな病院で診てくれることになりました。「胸水が満タンです。まずは入院しましょう」ということで検査入院をしたところ、病名が「悪性胸膜中皮腫」と確定をしました。一般的に、進行が早いと言われている肉腫型で、自覚症状が出てから確定診断までに時間がかかったこともあり、不安が募りました。インターネットでは、良くない情報ばかり出ていますので、いろいろと考えたりしてしまい、主治医が決まったときも、「延命治療になります」という言葉がつらく感じました。天から地に突き落とされた感覚でした。
私は少し建設関係の仕事をしてましたので、アスベストの病気の名前くらいはわかっていましたが、まさかこんな恐ろしい病気とは思っていませんでした。他の患者さんでも、当初は中皮腫と聞いて、皮膚病みたいな感じと思っていた方もいるようですが、自分が中皮腫に罹患してこんな重大な病気なのだなと改めてわかりました。
治療と副作用
治療は肉腫型ということもあり、オプジーボとヤーボイの二剤での治療を示され、開始しました。治療を開始して半年を過ぎてから、オプジーボの副作用で膵臓に影響が出てきました。食事をすると、基準値が70-110mg/dLの血糖値が500くらいになってしまいました。入院をして検査をしましたら、インスリンが全く出ておらず、これはもう1型糖尿病と同じだと言われました。それから毎食前にはお腹に注射を打っています。それとは別に、副作用で全体的な痒みは今だに続いていますが、まだ私は軽い方なのかと思っています。
治療の副作用はある程度コントロールしながら現在に至っていますが、診断から1年ぐらいまでは立ち直れない状況が続きました。診断されてから、「何ができるのだろう」と思い、いろいろ模索しながら、ネットを見たり、それから友達にも聞いたりしたんですけど、同じ病名の患者さんと会ってお話することができないし、そういう情報収集ができる場がなかなか多くなく困りました。そんな時に患者と家族の会に連絡をさせていただき、自分以外の患者さんとお会いするきっかけを頂きました。最初にお会いしたのは、胸膜中皮腫患者の右田孝雄さんと腹膜中皮腫患者の原修子さんでした。また、ご遺族の方からも治療に関して情報を伺ったり、自分だけではないんだということで、やっとこの病気と立ち向かえる勇気が湧いてきました。診断された最初の頃は、治療で頑張っていらっしゃる患者さんの生の声が聞きたいというのがありました。また、どこの病院に行ったらいいとか、あそこの病院には良い先生がいらっしゃるとか、少しでもそういう情報を知りたかったです。
同じ中皮腫患者たちとの出会い
右田さんや原さんとお会いし、すごい前向きな人たちで、同じ病気なのかな?と思うくらいでした。ここまで人間は強くなれるんだなと、感動しました。それから二人にはだいぶお世話になりました。このくらい病気と立ち向かう強い意志がないと、なかなか頑張れないんだなと思いました。それ以前は全て、悪いほうに、悪いほうに考えていました。「私が生きてる間にできることをしておこう」と、半年や一年先のことしか考えられなかったんですが、今はもう少し頑張れば、2年、3年、5年以上は少し考えられるようになってきました。今は前向きな気持ちで頑張っています。一方で、全く不安がないわけではなく、標準治療が終わって、少しでも腫瘍が大きくなったら、他に方法がなかなか無いのが現状ですから、そこはいつまでも不安はあります。
自分の中で心がけているのは、悪い情報は耳にしない。それから、右田さんにも言われたんですが、「痩せてはダメだ」と。とにかく食べることだと。美味しいものを食べて、たまにはお酒を飲んだりして、なるべくストレスをためないように、できたら運動もして。それは個人個人違うと思いますけれども、私の場合はそのようにしてきました。お肉を控えるとか、お酒をやめるとか、私は一切していません。
日常生活では周りも気を遣ってくれてはいるんですけど、現在も仕事をしてますし、ストレスをためない環境でいられるというのは、一番なのかなと思います。一日一日を楽しく生きるということが、一番の薬なのかなと思っています。これからの人生、多くは望めないのでまずは5年、それから10年と。できれば、治療されている患者さん全てにお薬が効いて、あるいは早く新薬ができて、がん細胞を身体の中からなくしていただければと思いますが、まずは5年を目標に頑張りたいと思います。
コミュニケーションがとれる医師を希望しての転院
話は変わりますが、半年ほど前に転院をしました。前の主治医とコミュニケーションを十分に図ることができなかったので、もう少しこちらの踏み込んだ話もできるような先生を希望していました。中皮腫は他のがんと違って、稀な病気なので、その中でも経験値がある病院、あるいは主治医を選んだほうが、私は良いと思ったので、セカンドオピニオンで現在の病院に移りました。転院を希望する際、少し言い出しにくい部分もありましたが、逆に開き直ってしまいました。こちらは患者なので、1年でも2年でも、ともかく長く存命できるようにしたいと考えています。少しでも可能性がある先生に出会うためにと思えば、自ずと気持ちが出てきました。転院をした病院の医師は、幅広くいろんなことをわかっていただいて、対等な感じで話もでき、こちらも明るい気持ちになりました。転院先の病院でも、いろんなケースがあることがわかったので、安心をもって治療を進められています。
中皮腫はまだまだ、標準治療としては少ないですけども、悪いニュースは観ないで、いいニュースだけを観て、経験が長い、この病気と闘っている患者さんの生の声を聞いたりして、自分自身が強くなれる場合もありますので、あきらめずに、みなさんと一緒に治療を続けて頑張っていければと思います。
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