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悪性胸膜中皮腫(肉腫型)患者として5年を生きて:なぜ建材メーカーはアスベスト含有建材を売り続けたのか(患者手記)

公開日:2023年5月18日

※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

執筆:ひょうご支部・胸膜中皮腫患者 尾上一郎

悪性胸膜中皮腫で余命6ヶ月との診断

現在67歳です。私は大学を卒業してすぐ、株式会社オクジューに就職し、それ以降、ビル、店舗等の大型建物の内装工事の施工管理をしてきました。施工管理の一環として、建材の発注作業にも携わっていましたが、まさか自分が発注している内装材に人を死に追いやる物質が含まれているとは夢にも思っていませんでした。私は2017年の7月、62歳の時に、会社の健康診断で右肺に水がたまっていると再検査の診断を受けました。近くの兵庫医大に再検査に行きました。

その時に医師から悪性胸膜中皮腫との診断を受けました。内視鏡検査で中皮腫の腫瘍が肝臓にまで浸潤してきていると。何もしなければ余命6ヶ月ぐらいですと。肉腫型なので手術もできません、と言われました。その当時は本当に奈落の底に突き落とされたような感じがしたと憶えています。

後で中皮腫のことをいろいろ調べたのですが、治療法が無いことや、予後が悪いことなど、医師が言った通り、悪い情報しか出てきません。もう絶望的な気持ちになりました。娘2人にも病気のことを伝えました。

娘らは非常にショックを受けていた様子ですが、何度も家族会議をした結果、娘らが少しでも長生きして欲しい、辛いかもしれないけれど、治療を受けて欲しいと言ってくれ、その言葉に励まされ、家族のためにもできる限りのことをしようと決意しました。

オプジーボの承認で一筋の光

中皮腫との診断を受けてからは、効果が期待できる治療はすべて試してきました。アリムタ、シスプラチンの抗がん剤治療は、吐き気や発熱、倦怠感等の強い副作用があり、やめられるなら治療をやめたいというほど辛い治療でした。体重は6キロも減り、入退院を繰り返しました。2017年5月から2018年の8月まで、3種類の抗がん剤治療を受けて、もうこれ以上の治療方法も無くなりましたが、幸いなことに、この年の8月からオプジーボが患者と家族の会、中皮腫サポートキャラバン隊の皆様の活動のおかげで保険適用されることになり、早速チャレンジすることになりました。

240ミリを2週間に1回ずつ点滴する治療で、副作用もそんなに強くなく、2年間にわたり治療を続けました。おかげで腫瘍は小さくなってきたのですが、肺の腫瘍には効き目があった。でも、肝臓の部分には少しも効かないということで、3センチ程度だった腫瘍がだんだんと大きくなってきて、医師からは、この腫瘍が大きくなって肝臓破裂で亡くなるかもしれない、と言われ、新しい治療方法を探してもらいました。

ラジオ波焼灼手術

肝臓に浸潤してきた腫瘍のがん細胞を破壊するため、RFA手術、ラジオ波焼灼手術ができるかもしれないと。高温の針を肝臓に刺して、がん細胞を破壊する。刺す都度に、これまで味わったことのない痛みに悶絶しました。

のたうち回るような痛みで、非常に痛かったのをよく憶えています。初めの話では1時間ぐらいですぐ済むということが4時間ほどかかりまして、もう本当に大変な手術になりました。

ただし、この治療は、局所麻酔でやるために、自分の身体はCTの中に入ったままで、先生が横から見ながら針を刺して1回ずつ電気をかける。痛いものですが、そのCTの筒の中で暴れ回るわけなんですね。それを看護師がぐっと抑えて、非常にのたうち回りました。もう喉がカラカラになるぐらい叫び倒して治療の一回目終わりました。声も出せないぐらいに、もう喉がひっつくというか、よくあれだけわめき倒したなというぐらい。看護師さんに氷をもらうのに一苦労したのをよく憶えています。

この治療を都合3回受けました。おかげさまで、この治療のせいで、6センチほどあった腫瘍が、ほぼ焼き切ることができました。放射線科の先生方の話からすると、こんなに大きくなっている腫瘍を取ったのは、病院としても初めてのことだということで、今後どうなっていくかは初めてのことで誰にもわからない、とのことでした。

オプジーボの副作用

今のところは肝臓は再発も無く、順調なんですが、2020年2月に、今度はオプジーボの副作用と思われる脳梗塞を何度もしました。小さなラクナ梗塞というやつを都合9回ほど起こしまして、医師の診断ではオプジーボの副作用のようですが、入退院を繰り返すようになり、この時から2020年の7月、オプジーボを休薬するようになります。

ただし、同時というか、末梢神経炎をこの時、オプジーボの副作用で発症しまして、手足の指にしびれや痛みを感じて力が入らず、手足の指の関節を思うように動かせない。字が思うように書けない。お箸がうまく使えない。ボタンが、今はちょっととめれるようにはなったんですけども、とめにくい。新聞をめくることも、飲み物をこぼさずに飲むことも一苦労ということになってしまいました。これまで当たり前のようにできていたことができなくなっていくことに、強い不安とむなしさを感じます。

中皮腫とともに生きる上での家族の支え

私はもともと身体を動かすことが好きで、テニスやゴルフを趣味にしていましたが、今はこれらの趣味をしっかり楽しむことも難しくなりました。病気がわかってからの5年間、いつも妻と2人の娘が支えてくれました。ある意味、病気が疎遠になりがちな家族をしっかりとつないでくれたのでは、と感じています。

妻と娘には感謝の気持ちとともに、絶えず不安な思いをさせていることや、自分たちの時間を割いて、私の看病をしてくれたことに、申し訳無い思いでいっぱいです。これまでは仕事ばかりでなかなか家族と一緒に時間を過ごすことができませんでした。

本来、あと数年働いて、仕事を引退した後は、旅行をしたりして、家族とゆっくりとした時間を過ごしたいと考えていましたが、思うように身体が動かなくなって、旅行に出かけることも難しくなっています。今はささやかですが、家族4人でご飯を食べにいって、他愛もない話をすることが何よりの幸せです。

病気になって以降、献身的に私を支えてくれている妻と娘のために、少しでも長生きしなければならないとわかっているものの、楽しみを奪われ、食事や歩行といった日常生活も普通の動作も思うようにできなくなっている今、生きることの意味を考えずにはいられません。私も内装材に含まれるアスベストが危険なものだと知ったのは、2年ほど前に弁護士さんと話をしたときが初めてです。弁護士さんからそのことを聞いても、すぐには信じられない気持ちでした。

建材メーカーは建設現場のアスベスト吹付材の危険性をなぜ隠していたのか

現場で吹付材が悪いとは知っていましたが、内装材も危険だった。というのも、建材メーカーがノンアスの内装材の販売を始めたころ、内装材に含まれるアスベストは大丈夫なのか、メーカーの営業担当者に聞いた際、吹付材の青石綿は危険だが、内装材に含まれているのは白石綿だから身体に悪くない、との説明を受け、それ以降も安心してアスベスト含有の内装材の使用を続けてきたからです。

メーカーの営業担当者とは親しくしていましたが、アスベストの危険性を認識しながら危険では無いと虚偽の説明をしてまで、アスベスト含有建材を売り続けたメーカーに強い憤りを感じます。

アスベストによる被害者がこれほどまでに多くなったのは、メーカーが他人事と、建設作業に関わる人の命を軽視し、自社の利益のためにアスベスト含有建材を売り続けたからです。メーカーが危険性を認識した時点で、その危険性を警告し、販売を停止していれば、アスベストによる被害者はこれほど多くならなかったはずです。これから先は、身体の調子が元に戻ることも、病気が治ることもありませんが、できるだけ毎日を楽しく生きていきたいと思っております。

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