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胸膜中皮腫の発症から2年を前に(家族手記)

公開日:2023年2月4日

※本執筆は、患者・家族の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

執筆:東海支部・胸膜中皮腫患者家族 山崎陽子

悪性胸膜中皮腫との闘いが始まったあの日から2年が経とうとしています。

夫は建設業の現場監督をしていて、ちょうど仕事の忙しい時でした。帰宅の遅い日ばかりでしたが、長引く咳が全く治る気配も無く、寒気もしたので珍しく早めに帰宅し、かかりつけの近所の内科にかかりました。聴診器を当てられてすぐにレントゲンを撮るよう促され、真っ白な左肺の画像を確認し、紹介状を書くからすぐに日赤病院に行くようにと言われたそうです。

中皮腫患者

日赤病院で胸水を抜き、検査したところ、「悪性胸膜中皮腫です」との宣告を受けました。夫は職業柄、半年に一度はアスベスト検診も受けていましたし、病名は耳にしたことはあったようですが、まさかこんなに怖い病気とは思っていなかったようです。ネットで検索すれば恐ろしい内容ばかりで、私達はすぐにどん底に突き落とされることとなります。

それぞれ独立している息子2人を家に呼び、夫の病気について話しました。もう大人ですし、親の前で弱いところを見せることも無くなった息子達ですが、あの日の暗く悲しそうな表情は忘れられません。

その後、「患者と家族の会」があることを発見。電話してみると事務局の方が出て下さり、ベルランド総合病院の岡部先生のことと、東海支部のことを教えていただきました。「岡部先生に電話して色々聞いてみられたらいいと思いますよ。」と事務局の方に言われて電話を切ったものの、大きな病院の立派な先生に電話して、繋いでもらえるものなんだろうか・・・?と思いましたが迷っている場合でもないのでとにかく電話をしました。電話受付の方は先生に繋げてくれなんて何言ってるの⁈という雰囲気をさりげなく感じたものの、岡部先生は穏やかに電話に出て下さって私の話を聞いて下さり、色々話して下さいました。

夫と相談し、岡部先生に手術をお願いすることを決め、日赤の主治医に事情を説明すると快く今までのデータを準備してくださって私達はベルランド総合病院の岡部先生のところに行きました。何かにつけて名古屋とベルランド総合病院のある堺市の間を往復。そんな頃は私も正社員でエクステリアプランナーの仕事をしていたので、とにかく忙しくしていました。でも、成し遂げなければならないことなので必死でした。

2021年4月13日の左肺全摘出手術の日は朝9時に手術が始まる前に私も余裕を持って病院に入らなければならず、始発に乗っても間に合わないので前日仕事が終わった後に新幹線で大阪に行き一泊して翌朝ベルランドに入りました。夫の手術を待つ間も仕事を持っていって片付けていたので待ち時間はあっという間に感じました。

8時間かかると言われた手術ですが、7時間弱で終わり、岡部先生が夫の肺の入った大きなタッパーを持ってみえました。肺は本当に大きな臓器で、大手術だったことを実感しました。ICUで対面した夫は沢山の管と繋がっていて、うっすらと意識はあったもののとにかく寒がって、夫を温めてくれるように看護師さん達にお願いして、私も足先など出ないようしっかりと毛布に包んであげましたが不安な気持ちで私は自宅に帰りました。夫の姿と摘出された大きな肺を見て、事の重大さを強く感じました。その次の日は、起きたら目がぐるぐる回って結局仕事を2日休みました。それまで気がつかなかったけど、私も色々抱え込んでいた緊張の糸が切れたんだと思います。

手術前後、合わせて約1ヶ月入院した夫を迎えに行くと、青白い顔で一回り小さくなり、立っていることもままならないほどでした。次に控えている放射線治療までの帰宅。夫を車に乗せて堺から帰り、朝出かける前に作っておいたカレーをふたりで食べました。「家のご飯は美味しいなあ。」と言う夫と2人で泣きながらの昼食となりました。

10日ほど家にいて心身共に休めたのも束の間、放射線治療のために入院。治療が始まってすぐに吐き気がひどくなり、食事ができずあっという間に鬱症状となってしまった夫。岡部先生も、「あまりにも辛そうだからもう止めた方がいいのかとも思う。でも数値は凄く良いから止めるのはもったいないんだけどなあ。」と電話を下さり、本人も交えて話し合うために私もベルランドへ向かいました。それでもなんとか最後まで放射線治療を終え、岡部先生の治療を全てクリアして帰宅することができました。

帰宅後は最初にお世話になった日赤病院でのアリムタ+カルボプラチンを4回受けて、2021年11月に治療を終え、経過観察で通院していましたが、2022年9月に右肺への再発があり、2022年10月から免疫療法での治療が始まって今日に至ります。

私の会社はとにかく家族優先にして無理をするなと言ってくれたのでしばらく休んでいる期間もありましたが、名古屋での治療が始まった頃、在宅で外構図面設計を再開していました。でも再発したら仕事は辞めようと思っていたので、9月いっぱいで退職しました。やりがいのある仕事でしたが仕事にのめり込むタイプなので、ここはスッパリと退いて夫婦でゆっくりと生きていこうと心に決めていたのです。それに、この病気に関連した色々な書類などの手続きも不慣れな私には結構手間がかかります。ご紹介いただいた東海支部事務所には何度か足を運んだり、電話やメールでかなりお世話になったり、思いのほかやるべきことがあることも実感しました。超高齢の夫の両親の介護もあり、仕事は辞めるべき時だったのだろうと思います。

夫の体は摘出手術後の痛みや締め付け感がずっと続いています。全摘出手術をしない選択もあったと思います。でも私達がどん底を彷徨っている時、どんな質問にも丁寧に時間をかけて納得のいくお返事をいただけた岡部先生を信頼し、先生がベストだと仰る治療法を選びました。途中、夫が放射線治療に耐えられず鬱になった時も何度かお電話いただき、心からの気持ちを伝えてくださったりしたこと。本人や家族の言葉にもきちんと耳を傾けて下さったこと。結局、最後まで受けた放射線治療中の精神的なダメージも毎日病室に来てくださる先生との何気ない会話に随分と助けられたんだと思います。素晴らしいご経歴はもちろん、先生の温厚篤実なお人柄に触れ、お任せして良かったと思っています。今でも年に3回ほどは岡部先生の診察を受けに堺まで通っています。

日々、体にリスクのある夫と暮らしていますのでこんなコロナ禍では人混みを避けるように生きています。私達のお出かけ先は家の近くの河川沿いのウォーキングコースです。可能な限り毎日歩いています。車の来ない平坦な道を自分たちのペースで歩くことができるので助かります。今は本当にゆっくりのペースで生きていますが、健康な頃の夫は私達家族のために、特に2人の息子を育て上げるために働き詰めで仕事をしていました。その仕事が原因でこんな病気になってしまったことが本当に辛く、悲しいです。それでも同じ病気で繋がった患者さんとそのご家族の頑張ってみえる様子がわかるようになり、お会いすることもでき、心強い思いでおります。毎日のウォーキングで体力をつけ、無事であることに感謝しながらこんな日が1日も長く続くことを祈っています。

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