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悪性胸膜中皮腫患者として8年目を迎える(患者手記)

公開日:2023年11月22日

執筆:関西支部/右田孝雄

※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

悪性胸膜中皮腫の診断

2016年5月のGW明けに身体に異常を感じて、病院へ行ってから2か月ほどで「悪性胸膜中皮腫」と診断されました。あれから7年が経過、8年目を迎えました。この7年間は人生59年の間で何もかも最も濃厚なものとなりました。

中皮腫右田

発症してすぐ、今まで盲腸の手術でしかなかった入院を3週間おきにして、初めて打つ抗がん剤に苦しみました。当時はオプジーボはまだ承認されてないので、シスプラチン+アリムタを6回、主治医は効いていると踏んで、これにアバスチンを加えてあと3回。毎回訪れる酷い悪心に、ここで私もさすがに「先生もう勘弁して」と泣きを入れて経過観察することになりました。その間、セカンドオピニオンで兵庫医科大学病院へ行って、手術は可能か伺いましたが、そこで初めてお会いしたH医師に「よく調べないと分からないが多分無理でしょう」と言われた時点で手術は諦めました。それから約一年経過観察しながら甲子園へ33回通ったり、好きなアーチストのライブにも何度も行きました。確定診断の際、余命2年と言われたので好きなことをやってやろうと思ったからです。

中皮腫サポートキャラバン隊の結成とオプジーボの承認

ちょうど経過観察になった頃、私の人生のターニングポイントともいえる栗田英司氏(くりちゃん)に会いました。彼とは意気投合し、中皮腫の予後は悪いとしかネット情報がないが、くりちゃんのように長生きしている患者さん、私のように元気な患者さんは全国にきっといるということで全国の長生きされている患者さん、元気な患者さんにインタビューに行って本を出版したいというくりちゃんの意志を実行しようと何人かの仲間と一緒に全国の患者さんに会いに行きました。これが中皮腫サポートキャラバン隊の結成でした。後に栗田英司氏が執筆した著書『もはやこれまで』がそのインタビューの成果です。

経過観察から1年が経過して、腫瘍が動き出し、アリムタ単剤を開始しましたが、数か月後にオプジーボが承認されたので、私もオプジーボに切り替えました。最初はオプジーボも奏功していたようですが、16回目で一部の腫瘍が大きくなっていることが発覚し、中止を余儀なくされました。irAE(有害事象)も9回目に全身のかゆみ、13回目に副腎皮質機能の低下、16回目終了後に膵炎と3度経験しました。この経験から、他の患者さんには、少しでも身体の異変があったらすぐに主治医に連絡するように伝えています。

4つあった腫瘍はオプジーボのお陰で3つは消えましたが、残りのひとつは見事に増大していました。次の治療をどうするか、主治医からジェムザールを提案されましたが、私はオプジーボの前にやっていたアリムタが効いていたのではと思ったので、アリムタ単剤維持療法を進言しました。

その時主治医からは、「アリムタが効かなかったら1年」と言われたことを今でも鮮明に覚えています。アリムタが奏功して1年経過したとき、主治医に勝ったと思い喜んだことを覚えています。

ちょうどアリムタ単剤維持療法をしていた2019年6月15日の名古屋キャラバンでくりちゃんが立っているのもツラい状態で約30分座ることなく立って皆さんの前で講演しながら今まで一緒に頑張ってきた患者さんや仲間に感謝の気持ちを伝えられたことは今でも鮮明に覚えています。その4日後、くりちゃんは永眠しました。私はこの年になって何十年ぶりかの大泣きをしました。くりちゃん以外にも、これまで知り合った多くの仲間が旅立ちました。その数は数えられませんが200人はゆうに超えていると思います。その訃報を聞くたびにその方を思い出して正直涙しています。

栗田英司氏不在の中でも、中皮腫サポートキャラバン隊は患者さんやご家族のピアサポートを中心とした活動を他の患者さんやご家族の方々、スタッフの協力を得て続けてきました。2021年5月にはオプジーボ+ヤーボイが承認されましたが、その際も9か月前に早期承認の要望書を患者と家族の会と共に提出しました。オプジーボ+ヤーボイは現在の主流となる標準治療ですが、セカンドライン以降には使用することができず、私は使用することができないため、それ以降もアリムタ単剤を継続してきました。新型コロナでほとんど活動できなかった期間が2年ほどありました。新型コロナが第5類になる直前、私の状態も大きく変化していくことになりました。

胸膜癒着術とIMRT放射線治療、そして両肺多発性転移

昨年6月から始まった中央環境審議会中央環境保健部会石綿健康被害対策小委員会に委員として第1回、第2回と参加した私は、プレッシャーと強いストレスから第2回が終わった一週間後に右脇腹に強い痛みを感じ、その後気付けばその場所に大きな腫瘤ができていました。

それに気付いて主治医に伝えると、胸水も溜まりだしたということで胸膜癒着術を勧められるがままに入院をしたのですが、その癒着術がどうも上手くいかなかったようで、主治医がマックス2週間の入院と言っていたのが、3週間ずっと夜になると38度以上の発熱があり、なかなか退院できませんでした。結局、私が主治医に申し出て、解熱薬のナイキサンを処方してもらい、年末の25日に無理やり退院しました。これを機に病院を兵庫医科大学病院に変更しました。その後も呼吸が苦しく、酸素飽和度も階段を数段登っただけでも90を切る数値が常時出たので、医師に伝えて酸素ボンベを用意していただきました。これで呼吸は楽になったのですが、右脇腹の腫瘤を小さくするために、アリムタ単剤をオプジーボに変更し、同時にIMRT放射線治療を33回毎日することになりました。33回というと約1か月半の期間、本来なら入院するところですが、入院すると何もその間の活動ができないことからこの間毎日通院することにしました。

33回のIMRT放射線治療を終えて、その結果右脇腹の腫瘤は順調に小さくなっていったので私も喜んでいました。しかし、喜んだのも束の間、CT撮影の結果で「両肺多発性転移」が見つかりました。中皮腫がとうとう肺の中に転移したということです。肺に転移したという事実を突きつけられて、さすがに私も落ち込みましたが、よくここまで頑張ってくれたという気持ち、末期になるまでは自覚症状も出難いと聞き、今はまだ元気なのでやれることを今のうちにやろうと、家族との時間を大切にしつつ、無理はしないようにしつつ私の役割を果たしていこうと思っています。

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