お知らせ

お知らせ

建設会社でのアスベストばく露と胸膜中皮腫の発病とその後の人生(患者手記)

公開日:2023年3月8日

※本執筆は、患者・家族の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

執筆:九州支部・胸膜中皮腫患者 宮永都志也

まず自己紹介をさせてください。

福岡県糟屋郡在住の宮永と申します。1957年(昭和32年)12月16日生まれの65歳です。

中皮腫患者

生まれは大分県です。1980年(昭和55年)に大学卒業後、大分県にあるS建設会社(ゼネコン)に就職し、社会人として歩み始めました。以後、現場監督として建設工事に携わって来ました。宮崎、大分、名古屋、長崎、福岡と各地で主にビルの新築工事を担当して来ました。因みに、資格は1級建築士、1級建築施工管理技士です。

当時、アスベストという言葉も全く聞かれず今思えば無防備でした。アスベストを吸い込んだという自覚も全く無いのですが、今思えば、アスベストが含まれた材料だらけの中で現場管理をしていたんだなと思います。

宮崎県で立体駐車場を建設して既存のビルと渡り廊下で接続する工事がありましたが、鉄骨に吹き付けられた断熱材の中で仕事をしたことが思い出されます。

27年間S建設会社で働き、その後、2007年に福岡のY建設会社、2009年に現在のH建設会社に移り、現場管理を行なって来ました。又、2015年からは役員として経営の一端を担うようになりました。

体調不良からの発病

2019年12月4日、私は体調不良を感じ、勤務先近くのA病院を受診しました。通院することになっても近くだから便利だろうという気持ちと、福岡でも大きな病院の為、間違いないだろうという安易な気持ちからでした。

検査がひととおり終わり診察になった時、レントゲン写真を見ると、左胸の下半分が写っていませんでした。胸水が溜まっていました。8月の健康診断ではレントゲンも何の問題もなく4ヶ月でこんなになるのかと信じられない気持ちでした。肺癌の可能性があるということで胸水の成分を確認の為、大きな注射器で胸水を抜かれました。検査の結果、胸水の中には悪い成分は無いとのことでした。

その後、今後の治療には施設が良いということで近くのB病院へ紹介されることになりました。12月13日にB病院を受診し、12月17日に入院、胸水のドレナージ術を受け12月23日に退院しました。

2020年1月7日の診察では、検査の結果が悪性ではなく、慢性胸膜線維化という診断でした。医師からは99%癌ではありませんと言われましたが、残りの1%を安心なものにするためにPET CTをすることになりました。ところが3か所にマーカー反応があり、癌の疑いが大きくなりました。

2月9日に入院し、胸腔穿刺で肺の組織を5か所採取しました。しかし、組織検査の結果は癌の疑いは無しという診断でした。又、縦隔リンパ節に2㎝程度の腫瘍が確認されましたが、特に悪性では無いということでした。

経過観察から中皮腫確定診断へ

それから約1年間、B病院で、毎月定期的に検査を受けていましたが、途中でIgG4関連疾患という難病の診断が出て、ステロイド治療を行うことになりました。ただ、リンパ節に結核菌が潜んでいた場合、暴れ出す可能性がある為、抗結核薬を半年間服用することになりました。

ところが、2020年12月の造影CT検査で縦隔リンパ節の腫瘍が増大しているのが判明。今度はA病院を紹介され、2021年1月12日に気管支ファイバーで縦隔リンパ節腫瘍の生検穿刺を実施しました。

その結果2021年1月26日に、縦隔リンパ節腺癌が判明。他に転移がないかということで1月末に大腸ファイバー、2月初旬にPET CT、脳の造影MRI検査を受けました。

その結果、2021年2月12日、B病院の主治医から悪性腫瘍の縦隔リンパ節転移、左肺胸膜播種、胸壁転移、ステージⅣですと告げられました。私は、茫然となり、自然と涙が出て来ました。「先生、ついこの前までは大丈夫ということで来たじゃないですか?いきなりステージⅣですか?」と聞くと、主治医はただ「すみません」というだけでした。

私は、頭の中が真っ白でしたが何とか「この病気に対応出来る病院を紹介して下さい」と言い、C病院を紹介されました。

すぐにC病院を受診し、早速、CTガイド下生検穿刺が行われ、2021年2月24日に悪性胸膜中皮腫の確定診断が出ました。上皮型、左胸膜中皮腫、そしてリンパ節の肺門、縦隔、鎖骨上窩、左第11肋骨背側に遠隔転移というものでした。やはりステージⅣでした。

治療方針としては、抗がん剤による治療、アリムタとシスプラチン投与でした。

と同時に、病院のソーシャルワーカーの方から、労災申請と同時に救済認定の申請を行うように助言を貰いました。仕事柄、アスベストに関する業務には細心の注意を払って基準に乗っ取った防護をするように指示を出していた自分が、また、労災申請の書類は社内での決済承認者であった自分が、まさかアスベストばく露による労災の申請書を書くことになろうとは思ってもみませんでした。C病院には、中皮腫の患者が他にはおらず孤独感を日増しに感じていました。

ネットでも色々調べましたが、悪い情報しかありません。ますます落ち込んでしまいました。又、化学療法の説明書に、治療の目的という欄があって、そこには延命治療の欄にチェックされていたのが忘れられません。

さてアリムタ、シスプラチンは、計6回おこないましたが、この治療によるダメージは相当なものでした。最初は吐き気がひどく食べることが出来ませんでした。3回目からは、外来で投与を受けました。この時からは吐き気は薬で何とか抑え込むことは出来ましたが、手足が痺れ、しゃっくりが止まらなくなりました。

しゃっくりと言っても普通のしゃっくりではありません。横隔膜の連続痙攣という言葉がぴったりでした。

仕事はリモートワークをさせて貰っていたので良かったのですが、本当に苦しかったです。

6回目の抗がん剤投与が終わり、リモートワークも一端終わり、2021年10月4日、久しぶりに会社に出社しましたが、早速、経営会議に参画するという大役も仰せつかりましたが、何より温かく迎えてくれたのが嬉しく思えました。

アリムタ+シスプラチンは一応効果があり腫瘍は一端は小さくなりましたが、休薬期間を3か月とり、CT検査をすると腫瘍がまた増大方向に向かい始めていました。早々に次の治療に入らなければいけないということで、二次治療が始まりました。

二次治療は、ガイドライン通り、免疫療法ということで、オプジーボ投与が始まりました。最初は、2022年1月26日、240㎎を2週間間隔で投与ということで入院して1回目を行いましたが、2回目からは480㎎を4週間間隔で外来で行うことになりました。

キャラバン隊との出会いと治療

そんな時に、2022年2月22日にキャラバン隊の右田理事長からTELがあり話をすることが出来ました。これはネットで「中皮腫患者白書が出来ました。希望者には配布します」という情報を見つけ、2月18日に白書希望、私はこれからどう生きていけばいいのでしょうかと相談のメールを送ったことに始まります。右田理事長からの「前を向いて頑張って生きましょう」という言葉に本当に勇気づけられました。

3回目と6回目のオプジーボ投与時に、CT検査を行いましたが、腫瘍は現状維持という結果でした。

6月11日の中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会の福岡支部総会に出席しました。患者さんや、遺族の方の講演を聞き、強く生きなければと思いましたが、自己紹介の時には、途中何故か涙で言葉に詰まってしまいました。

7月29日の9回目の投与の時に、CT検査を行いましたが、この時に、主治医からは「腫瘍がわずかに増大しています。オプジーボの効果が出ていませんね。10月28日のCT検査で効果が見られなければ、9月30日の11回目の投与を持ってオプジーボは打切りです」と言われました。

私は先生に、オプジーボが打ち切りになったら次の治療はどのようになるのでしょうか?と聞きましたが、先生は、「これから先は手探りです」としか答えてくれませんでした。

この頃から、帯状疱疹にもなり自分の体調もおかしくなり、仕事を続けながらの治療、療養は無理があると感じ、ついに9月20日から有給休暇を利用し、11月1日からは完全に休職し治療に専念することにしました。

2022年9月30日の診察と11回目のオプジーボ投与の時、主治医から「これ以上打つ手がありません。緩和治療に進みましょう」と言われました。またまた頭が真っ白になりましたが、以前、右田理事長から聞いていた中皮腫の治療は九州ではD病院が実績がありますよという言葉を思い出し、D病院でセカンドオピニオンが出来るように紹介をお願いしました。

次の週、10月5日に初めて、中皮腫サロンに参加させていただきました。自己紹介とオプジーボの治療が行き詰まっていること、D病院でセカンドオピニオンを受けることを報告しました。その時に、心強い助言と励ましの言葉を頂き本当に有難い思いでした。

セカンドオピニオン

2022年10月18日、D病院で病院長のセカンドオピニオンを受けました。失意の中にあった私は予想外の言葉を貰いました。「貴方は未だ元気じゃないですか?65歳はまだ若いですよ。決してあきらめてはいけません。放射線治療も出来るし、場合によってはPD手術(胸膜剥離術)もできるかもしれない。緩和治療は未だ早いですよ。頑張りましょう」と言ってくれました。

C病院で言われた、「オプジーボの効果が無い、これ以上打つ手が無い、今後は緩和治療を行います」という言葉と、これだけ違うのかと本当に驚きました。

10月28日、C病院の最後の診察になりました。CT検査の結果も良くなく、これ以上、オプジーボ投与は出来ませんと言われ終わりました。その後、D病院への転院の紹介状を書いて貰い、11月1日にD病院を受診しました。

11月8日に入院し、縦隔リンパ節腫瘍に放射線照射を5回行い、あわせて温熱治療も行い、オプジーボ投与まで実施しました。これはアブスコパル効果を期待するという賭けのようなものですが、結果は別にしてやる価値はあると思います。

2023年1月12日の造影CT検査では、放射線治療で照射した縦隔リンパ節腫瘍は縮小、その下方のリンパ節腫瘍も縮小している。また胸膜の中皮腫に関しては1か所が縮小、その他の数ヶ所は現状維持という状況です。このままオプジーボ投与を続けましょうと主治医からの言葉でした。何らかの動きがあっているのは事実のようです。このまま良い方向に行けたらと思います。

今後に向けて

中皮腫になって私の生活は一変しました。企業の役員として、70歳まで働くという人生設計が消えてしまいました。

治療・療養の為、休職していましたが、65歳の定年を迎えるとすぐに役員退任となり、契約社員扱いとなり、日給月給での雇用条件変更という立場になってしまいました。43年間企業戦士として頑張ってきた私には、また、現在の会社にも貢献したと自負していた自分としては本当にショックでした。

又、中皮腫という病気は他の人には中々理解してもらえないところもあります。見た目だけでは、本当に元気そうに見えるようです。顔色がいいですね、本当に病気ですか?とよく言われます。でも、中皮腫になった左胸は痛みます。倦怠感もあります。CT検査の画像でも腫瘍がはっきり見られます。

倦怠感、痒み、口の渇き等、オプジーボの副作用も考えられますが症状が日々刻々と変化していきます。

又、今後の治療に関する不安はいつまでたっても消えません。考えても仕方ないと思いながらも、不安になります。これまで何度となく奈落の底に突き落とされて来ました。精神的にも苦しい時期もありました。そのたびに、妻には何度も助けられています。

2022年10月20日に、宮地嶽神社の「光の道」を見ることが出来ました。嵐のCMで有名になった様ですが、妻が段取りしてくれて見ることが出来ました。落ち込んでいた私にはその後の治療に対する光のようにも見えました。改めて、治療を頑張ろうと思いました。

中皮腫

今までは、仕事ばかりで家庭を振り返ることも少なかった私ですが、今は、病院に行くのも、何処に行くのも、何をするのも妻と一緒です。今がデートをしている様だねと言います。感謝してもしきれません。妻だけではありません。息子たち家族も兄妹親族も気にかけてくれています。

応援してくれる方々の為にも、強く生きなければいけないと思います。これからも前向きに頑張っていこうと思います。

胸膜中皮腫関連記事

胸膜中皮腫の発症から2年を前に(家族手記)

24時間365日受付

中皮腫・アスベスト被害全国無料相談

当サイトへのご相談・お問い合わせはこちらからご連絡ください。

中皮腫・アスベスト被害全国無料相談

0120-117-554

24時間365日受付