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悪性胸膜中皮腫の発症から6年:胸膜切除・肺剥皮術(PD)から無再発を維持(患者手記)

公開日:2024年11月19日

執筆:北関東支部 堀岡喜明

※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

余命7ヶ月

堀岡喜明と申します。71歳です。埼玉県に住んでいる胸膜中皮腫(上皮型)患者です。

2018年の11月に胸の異常を感じて、かかりつけの病院に行きました。レントゲンを撮ったところ胸水が溜まっており肺が真っ白で、すぐに大きな病院に行くように指示されました。このときは、胸水の除去さえしてしまえばすぐに普通の生活に戻れるかな、という感覚でした。ところが胸水を抜いたあともずっと体調が良くならず、仕事をしていても違和感がありました。

2019年の2月に再度、入院をして胸水を抜きました。抜いた胸水を確認したところヒアルロン酸値が非常に高いことがわかりました。医師から「とても残念な病気かもしれない」と言われたことを覚えています。当時、年齢のこともあり、すぐに仕事をやめて病気と向き合って過ごそうと決めました。のちに確定診断を受け、胸膜中皮腫のステージ2、上皮型と説明を受けました。また、余命は7ヶ月とも言われました。ただ、化学療法をすれば1年半、手術をすればさらに延命の可能性があると言われました。その可能性がどの程度のものか伺うと、5年生存率が54%というものでした。

手術を決断

手術をするのであれば、希望する病院を決めてくださいと医師から言われました。いくつかの病院も案内をされましたが、自分で探す旨を伝えました。セカンドオピニオンで情報を収集もしましたが、家庭の事情であまり遠方の病院に行くのは難しい状況でした。そんな中、埼玉県立がんセンターのホームページをみていたところ、「スペシャリストから指導を受けている」と記載があり、とても印象に残りました。相談したところ、岡部和倫医師(現・ベルランド病院)の名前をお伺いし、がんセンターで手術をすることに決めました。

手術をするにあたり、肺機能の低下が気になり確認したところ、胸膜だけを剥がす手術(胸膜切除/肺剥皮術)の提案を受けました。

自宅には障がいのある娘がおり、妻がかかりきりで介助をしています。そのような中、私が妻の世話になるわけにはいかず、自分の命は二の次というか、家族のことを考えると少しでも生活の質を維持したいという思いでした。例えば、買い物に行けるとか、自分のことは自分でできるとか、たとえ生存期間が短くなってもそちらを選択したいと考えていました。再発や生存期間に差があったとしても良い時間を家族と過ごせるのであればそちらを選ぶことにしました。その上で、どうしようもなくなってしまった時は病院に入院して、家族に迷惑をかけないようにしようと考えました。

手術は朝から始まり、夕方には終わりました。先生のお話では、みえている部分は全て摘出でき、輸血の必要もなかったとのことでした。術後の検査では、傷口の化膿などはありましたが徐々に回復していきました。術後は1年間、アリムタ単剤の抗がん剤をして中断しました。その後は3ヶ月に1回のレントゲン検査、その3ヶ月後にCT検査という形で繰り返し、2024年の7月で術後から5年が経過しました。

術後の生活

術後は自分の中で努力できることを考えて実践しました。「辛いかもしれないが体をいじめないとダメだ」と医師からも言われていたので、少しずつ毎日の散歩を始めました。当初は5分や10分くらいですぐに疲れてしまいましたが、現在は1日8千歩から1万歩くらいは歩けるようになりました。個人的に手術の前から肺の機能が良くなかったのではないかと思っており、呼吸の訓練器具があり、そちらも術後に実施して現在も続けています。また筋力が落ちないように軽いストレッチやトレーニングなど自分にできることをやっています。

また、病気になってから腎臓の数値が悪くなったので、透析になっては困るということで塩分の少ない食事を心がけました。現在、数値は落ち着いています。今後も自分にできる努力は続けていこうと思います。

病気になってから、「建設や電気工事関係の仕事をしていましたか?」と医師などから聞かれるのですが、そのような経歴はありません。私の住まいの近くの自治体の市議会議員も中皮腫で他界したのですが、その方は小売業にお勤めされた経験があったそうです。私も小売業の関係で長年仕事をしてきました。仕事以外の日常でアスベストを吸うような経験はなかったので、仕事を通じてアスベストを吸ってしまったのではないかと考えています。ただ証拠がなく、労災請求も不認定となりました。現在、審査請求をしており、引き続き労災認定を求めていきます。

診断当初、余命7ヶ月という話もあり精神的にもつらい状況でした。とてもつらい状況の中、妻も「私はどうしたらいいの?」と困惑し、自分の中では逆に肝が座った部分もありました。病院探しの段階から家族が役割分担をしてくれて、石綿救済制度のことなども含めて情報収集をしてくれました。息子も患者と家族の会に相談してくれて、みなさんとのつながりをつくってくれました。

私が診断された2018年当時も、インターネットなどで情報を調べても悪いものが多くありました。ただ、状況は少しずつ変化してきているので、新しい情報を得ていくことも大切かと思います。患者と家族の会などを通じて、新たな情報を得て頂ければと思います。個人的にはストレスをできるだけ溜めないようにしていて、「やりたくないことはやらない」、「嫌な人とは会わない」、「嫌いなことはしない」ようにしています。睡眠も8時間は取ること、先に述べたように適度な運動をするように心がけています。今後も、自分にできることを続けて療養していきたいと思います。

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