悪性胸膜中皮腫と診断されても、「生きる」と誓った(患者手記)
公開日:2023年12月14日
執筆:ひょうご支部 荒尾誠也
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
これまでの治療の概略
私は2021年の10月の初旬より右胸下部あたりに痛みと違和感を覚えバファリンを服用し痛みを凌いでいました。当初は何とか凌げていましたが痛みがとれず、ロキソニンを服用し始めました。10月後半には、ロキソニンでも痛み違和感がとれず11月1日に掛かりつけの病院で診察を受けました。
そこでCTを撮ったところ、医師が「これはアカンわ、荒尾さん、水が溜まってます。うちでは対応できません」ということで、近くの大きな病院を紹介されました。
その日のうちにK病院に行きました。一応、受け入れてくださるということになりましたが、胸水検査の結果、医師から、「荒尾さん、あなたは悪性のがんです」と言われ、そのとき、何が何だかわからず、整理ができませんでした。何をしていいのかわからず、頭が真っ白になりました。その後の病理検査の結果、「原発不明がん」と診断され、CTやMRIなどでさらに詳しく検査をしました。ところが、なおも原発部位がわからなかったために、Hがんセンターを紹介され受診したところ、「悪性胸膜中皮腫」と診断されました。治療に関して相談したところ、H病院を紹介され、そちらへ転院することとなりました。この頃から右胸の痛みと息苦しさのために運転も妻にお願いすることになってきました。
2022年1月26日からH病院に入院して胸膜癒着術を受けました。その後、2月24日からアリムタとシスプラチンに化学療法をはじめましたが、入院中は食事もあまりできず体重減少、倦怠感、痛み、嘔吐に耐え点滴、薬で日々を送りました。
入院中に孫たちとのLINE動画でのやり取りで、自宅の入れ替えた仏壇の前で『仏様、爺じをお守りください』と三歳の孫が毎回毎回、仏壇に向かってお願いをしているのを見て、まだまだ生きると誓いました。孫のパワーは生きる力をくれました。
4月になり、石綿健康被害救済制度による認定もされました。4月の後半になり、化学療法の結果をみるためにPET検査をしましたが、あまり効果がみられず、がん細胞も増えているとのことでした。化学療法の結果次第では手術も可能性があったのですが、それもできませんでした。
2022年6月からはオプジーボでの治療を開始しました。以降、右胸にあった腫瘍が小さくなっていきました。一方で、オプジーボの治療をする中では以下のような症状が出て、現在も続いています。
・倦怠感が酷く午前中は自宅安静を余儀なくされる。
・息苦しさが続く日がある。
・右胸の検査(生検)による傷跡(癌化)がたまに激痛として現れる。
・右胸の中側がたまに痛む。
・手足がたまに痺れる。
・悪心、冷や汗がたまに発生。
・足が頻繁に痛くなり歩けなくなり外出時に車いすを利用する事が増えた。
・たまに腹痛が持続する。
・たまに頭痛が酷く動けない日が続く時がある。
・下痢が続き食事が取れない日がある。
・鼻づまり、鼻水が半年以上続く。
・熟睡できない。
・夜中、頻繁にトイレに通う。
2023年8月には大腸炎となり9月末までオプジーボを中止して、ステロイド治療をしていました。9月末に症状が落ち着き、10月以降はオプジーボを再会しています。
これまでを振り返って
悪性のがんと診断された当初、頭は真っ白になりました。そのときは、病名もわかりませんでしたが、経営している会社、従業員のこと、家族のことを考えて、関係者には連絡を入れました。
病名がわかり、余命が1年だと宣告されたときは家に帰り、妻にそのことを伝えました。
そこからもう、慌ただしく、もう悲しむ間も何も無く、終活を始めました。
①経営している会社の運営上の諸整理
②個人資産の売却
③仏壇の入れ替え
④自分のお墓をつくる
⑤御寺にて仏様の弟子になる為に生前で戒名を授かる 「法蔵誠観 居士」
⑥葬式会場で新しく会員になる
⑦通夜、葬式の段取りをする(通夜、葬式で流れるBGMの準備、案内状表の作成など)
⑧生前贈与の準備
⑨娘夫婦を養子縁組として迎え、墓守の約束事を決める
⑩少しずつ思い出づくりを始める
私は九州の出身ですが、神戸に来て、もうかれこれ30年になります。こちらで墓を建てさせてほしいこと、母親の遺骨を分骨させてほしいと親戚にもお願いしました。
私は小さいころから、おじいちゃん、おばあちゃんにも、よく育てられました。先祖があっての私、私があっての息子、娘、孫ですんで、やっぱり先祖を大事にしたいということで、もう上げ膳据え膳で、若い頃から私は仏壇を設置して私なりに先祖を守ってきました。お墓を作ることもでき、それならばということで戒名まで作っておくことにしました。戒名をいただき、大事にしています。
余談ですが、葬式やお通夜に行くと、親族代表が立って、「生前はお世話になりました」という挨拶をするかと思います。その「生前」というのは生きる前です。生きる前、お世話になりました、と。私はこれまでにお坊さんによく説経を受けたのですが、それによれば、人は亡くなると仏様の弟子になり、仏様の弟子になって初めてそこから生きる、という考えのようです。
2022年の1月ごろから中皮腫サポートキャラバン隊などの存在は知っていたのですが、2023年7月に関西支部の右田孝雄さんとはじめてお会いさせて頂きました。私も、ささやかですが、これ以降ブログを書かせて頂いています。
患者と家族の会やキャラバン隊に出会って本当に良かったと思います。私も微力ながらでも、今後、少しでもお力になれたらなと思っております。今後とも、どうぞよろしくお願いします。
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