胸膜中皮腫上皮型の発症と胸膜切除/肺剥皮術(P/D)、その後の療養(患者手記)
公開日:2024年8月10日
執筆:関東支部 根岸良昌
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
胸膜中皮腫上皮型の発症と手術と抗がん剤治療
根岸良昌と申します。年齢は52歳です。東京都在住です。2022年2月に悪性胸膜中皮腫上皮型を発症しました。今も仕事は、電気工事業をやっていまして、主にエアコンの取り付けとか、リフォームの電気工事とか、アンテナ工事とか、いろいろ、そんなことを、いま現在も行っています。この仕事自体は30歳ぐらいから始めたので、もう20年ちょっとか。同じ仕事をずっとやっています。仕事を通じてアスベストにばく露してしまいました。
治療は抗がん剤の治療、アリムタとシスプラチンを3回やりまして、その後、胸膜切除/肺剥皮術をおこないました。その後、術後にまた抗がん剤のアリムタとシスプラチンを3回おこなうという状況です。手術は兵庫医科大学病院で実施して、抗がん剤は関東の病院で実施しています。
しかし、2023年の4月ぐらいに再発しまして、そこから免疫チェックポイント阻害薬のオプジーボとヤーボイを行うことになりまして、それを1年間ぐらい続けています。
治療開始当初、再発したところが徐々に無くなって、小さくなって、レントゲンとか造影CTでわからないぐらいになっていきました。ただ最近、1つだけ、少し怪しいのがあるということで、6月ぐらいにもう一度、造影CTを撮って今後の治療を考えるという状況です。
中皮腫を受け入れる
最初に中皮腫という病名を聞いた時、この病名自体をまったく知りませんでした。どんな病気なのか、こんな病気があったのか、アスベストが関係するとか、一切知らず、妻にいろいろ調べてもらいました。今後どうしていくかと、主治医に妻と相談して、まだ年齢も比較的若いので手術した方が延命の確率は上がるということで手術することにしました。
診断当初は、頭が真っ白になり、本当なのかなと、ずっと思っていました。何でなったのかとも思いましたが、受け入れざるを得ない状況だったので、普段通りの生活をしていくしかないと考えるようにしました。子どももまだ小さかったですし(現在は小学校と幼稚園の子どもが3人)、何が何でもやるしかない、という感じでした。基本的に、病気のことはもう忘れるようにしています。日々、何かしらに、仕事に夢中になって、家へ帰ってきたら、子どもといっぱい遊ぶ。自然にそうしていくと、忘れられるという形です。
治療を進めるにあたって、これといって気をつけていることはあまりないですが、病気を普通に受け入れて、先生のことも信用して、いつでも感謝の気持ちを忘れずに接するしかない、という気持ちです。
あとは、妻と一緒に診察受けて、自分は病気のことに詳しくないので、妻のほうがいろいろと質問をしてくれますので、先生と妻からいろいろ教えてもらうので助かっています。
主治医とのコミュニケーションや術後の生活
主治医とは2年ぐらいの付き合いなので、家族でディズニーランド行ったとか、運動会の話とか、そんな話から始まって、治療の話をするようになっていますので話しやすい先生です。話しやすい空気を作ってもらっている部分もあります。
これまでの治療を振り返ると、最初の抗がん剤のアリムタとシスプラチンの治療は副作用がだいぶ大変でした。だるさとか、食事の面とかが大変でした。手術をしたときは仕事も何もできない状態でした。術後はずっと家にいましたけど、自宅で療養してましたけども、子どもたちが襲ってくるので、もうそれどころじゃなかったです。気持ち悪いとか言っている場合じゃなくて。かえってそれが良かったのかもしれないです。
術後は体力がぐーんと下がってしまったので、いかに体力をつけるかが課題でした。重い物も持てなくなって、歩くのも、ちょっと動くともう息がハァハァして息切れしてしまっていました。100%は戻らないですけど、徐々に戻せるように日々動いて、子どもと遊んで何とか体力を戻そうと今もがんばっています。
できれば毎日、散歩しようと思ってですけど、なかなか時間がとれませんが、仕事に復帰することによって、エアコンの取り付けとか、電気工事でいろんなことをするので、今日はこれだけ動かせるようになったとか、ちょっと重い物がだんだん持てるようになってきたとかが体調のバロメータになるので、仕事はできる範囲でこれからもしていきたいとは思います。
オプジーボとヤーボイの治療になってから副作用は、ほぼ無いんですけれども、肝臓の数値が悪くなって、今は薬を飲んでいます。若干、爪が荒れたりはしましたが、皮膚のかゆみなどの症状はいまのところありません。
発症からこれまでの経過を振り返ると、やはり家族の力は大きかったです。家族がLINEグループを立ち上げて、身体の調子を気遣ってくれてLINEとかで共有するようになりました。友人は、近くにこういった病気になる人がいないので、どう接していいか、ちょっと悩んでいるみたいですけれども、たまに会ってちょっと飲みにいったりとか、いろいろな話をします。
中皮腫は予後が悪いとか、余命が短いと言われますが、それを乗り越えるという気持ちを日々大事にしていきたいと思います。
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