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30時間程度のアスベストばく露で悪性胸膜中皮腫を発症し公務災害認定(患者手記)

公開日:2024年11月18日

執筆:ひょうご支部 真方 明

※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

治療を開始するも副作用で一回の投与で中断

真方明と申します。68歳です。兵庫県在住です。宝塚市立病院で2023年の1月に悪性胸膜中皮腫ステージ3Bと確定診断を受けました。その頃まではテニスをしたり山岳部に入っていたりして山登りもしていましたが、思い返せばその頃から息苦しさがありました。

最初に健康診断で肺に異常があるということで、宝塚市立病院で精密検査を受けて診断されました。余命のことや娘の妊娠等のこともあったのですぐに治療を開始したいと思い1月にそのまま治療を開始しました。

まず免疫療法ということでオブジーボとヤーボイをしました。投与したのですがあまりにも副作用が強すぎて、1回だけで今は休薬しています。最初は発疹が出て、しばらくしてから肝障害がすごく出てきました。肝臓に関わる機能の数値が通常値の100倍近い値になりました。そこで緊急入院してステロイドを投与することによって徐々に肝臓の数値は下がってきました。ただ、その効果はあったようなので、中皮腫は小さくなりました。現在は3ヶ月に1回ぐらいの血液検査とCTの撮影で様子を見ています。

オプジーボとヤーボイの治療にはすごく期待していたので1回しかできないということにはすごくがっかりしました。ただ、医師からは「しばらく効果は続きますから」ということで経過観察に変わりました。副作用がかなり大きく出たので、そのまま続けることはできないということで中止になりました。再発した場合はオプジーボ、あるいは別の抗がん剤くらいしか手は残っていないかと思います。

余命宣告と死の恐怖

抗がん剤の副作用とは異なりますが、診断当初、胸膜に水が溜まってきていました。車に乗ったり、かがんだだけでも苦しくなり、ひどい時は空中を掻きむしることもありました。息ができないのはこんなにも怖いものかというのを初めて知りました。それ以前には余命宣告も受けていたので、「死んでいくというのはこういうことなのか」と感じました。

余命宣告は妻が別室で先生に聞きました。娘が妊娠初期だったので、それを伝えていいのか、妊娠に悪影響を与えてはいけないということで妻はすごく悩んでいました。さきほど述べた緊急入院の際、医師から「もし息が止まったら高度医療機関に緊急搬送します」と言われたので、妻は本当に悩んでいたそうです。

息苦しいことも相当辛かったのですが、副作用も出て肝臓に障害が出て食事もとれなくなっていました。がんだから無理矢理にでも食事をしないといけないという思いがあり、飲み込むように食べていたのですが妻がそれを悲しそうな目で見ていたのですが、それを見ているのが本当に辛かったです。

食欲不振は治療によって肝臓に影響があったからだと思います。緊急入院した際にステロイドを服用することによってどんどん体調も食欲も戻ってきました。入院後しばらくして、病院食も完食できるようになりました。テニスや山登りは難しいですが、ボウリングは体への負担も少ないので今も楽しんでいます。

中皮腫が治るとは思っていませんが安定した病態が続けばそれが最善だと思っています。しかし、今年6月の検診で増悪が疑われたので、次回以降の検査でもう少し詳しく調べることになっています。4月に兵庫医科大学病院の呼吸器外科から長谷川誠紀医師がこられたので、どこかで診察してもらえればと思っています。近くに兵庫医大がありますが、いまの病院で最初にお世話になった先生が優しく丁寧に説明をしてくれる先生なので、ある程度おまかせして進めていこうかとこれからも考えています。

わずかなアスベストばく露で中皮腫を発症

診断された当時、インターネットで情報を調べましたがろくなことが書いてありませんでした。妻も色々と調べてくれて中皮腫サポートキャラバン隊や胸膜中皮腫患者の右田さんの存在を知ることができました。また、患者と家族の会へ連絡し、ひょうご支部の西山さんにもつながることができました。西山さんには公務災害の関係で支援していただき大変助かりました。

私は阪神間の市役所に就職して、しばらくして水道局へ異動になりました。水道局の浄水場で水質検査を担当していましたが、業務の一環で小学生の社会科見学の案内をすることがありました。浄水場の施設内を案内していましたが、その中にポンプ室があったのですが、騒音防止のために床や天井に全面的にアスベストが吹き付けられていました。見学のたびにこどもたちを連れていっていましたが、かなり劣化した状態でした。当時、子どもたちは空気中に光るアスベストをみて面白がっていました。また、壁にも吹いていたアスベストに触ってホコリを巻き上げていました。その頃、私もアスベストの危険性をほとんど知らなかったので、「そんなんしたらアカンで」と簡単に注意していただけでした。年間で20回程度、9年ほどそのような業務をしていました。累計では30時間程度でした。公務災害への申請段階では難しいとも思っていましたが、西山さんや同僚などみなさんに協力いただき認定に至りました。ただ、当時の子どもたちは絶対にアスベストを吸っています。万が一、そのときの子どもたちが中皮腫などを発症してしまった場合、原因がわからないのではないかと心配しています。

これまで大勢の方に支援をいただきましたので、少しでもお返ししたいと思っています。協力できることは全部していきたいと思っています。病気になった当初は旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、好きなことをするように周りからも言われました。その通りだなと思っていたのですが、今は基本的な生活を変えなくても、普通の日常がすごく大切ではないかと思っています。家族と出かけたり、友人と集まりをしたり、ささやかなことも楽しめるようになりました。

中皮腫をひとりで抱え込まない

7月の省庁交渉に昨年に引き続き参加させて頂きました。来年、再来年と参加できるかわかりませんが、同じような中身のない回答が悲しいです。環境大臣が「患者に寄り添った対応をする」と言っているにもかかわらず、省庁交渉では中身のない回答になってしまうのはなぜだろうかと感じます。

一番大切なことは、1人で抱え込まないことだと思います。悪い情報ばかり見てしまって、悲観的なことを考えがちになりますが、患者と家族の会やキャラバン隊のみなさんと連絡を取り、希望につながるような情報を得て頂ければと思います。

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