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タクシー運転手の職歴で胸膜中皮腫(上皮様)を発症(患者手記)

公開日:2026年1月9日

執筆:北海道支部 村岡 進

※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

皆様、こんにちは。村岡進と申します。75歳です。現在、私は札幌市手稲区にある手稲渓仁会病院で、胸膜中皮腫(上皮様)の治療を続けているところです(現在は一時、中断)。まさか自分が、この悪性のがんである中皮腫と診断されるとは夢にも思いませんでした。

診断までの経緯と突然の入院

体調に異変を感じ始めたのは、2024年9月の半ば頃でした。歩いていると息切れがするようになり、近くの病院へ行きました。そこでは、大きな病院で詳しく検査をするように言われました。その約1週間後くらいに別の病院へ行きました。そこで診察を受けた日に肺のレントゲンを撮ったところ、肺に水が溜まっていることが分かりました。先生は専門外だとおっしゃったので、詳しいことは後日うかがうことになり、とりあえず薬を一つだけもらって帰宅しました。しかしその日の夜から急に息苦しさがひどくなり、どうしようもなくなった私は近所に住んでいる息子に電話をかけ、手稲渓仁会病院の救急外来に連れて行ってもらいました。レントゲンなどで詳しく調べた結果、やはり肺に水が溜まっており、「このまま入院しないとだめですよ」と言われ、その日から入院生活が始まりました。11月6日のことです。

最初は病名が分からず、結核ではないかとも疑われました。水を抜く作業も大変で、3回にわたり4リットル近く抜きました。そして、入院から10日経った頃、内視鏡で肺の組織を採取し調べる生検を行った結果、アスベストによる中皮腫だと診断されました。先生から「悪性のがんです」と説明を受けましたが、中皮腫がどんな病気か当時の私は理解できませんでした。なんせ息苦しくて苦しくて、酸素をつけながら、半分死んでいるような状態でした。

家族も大きなショックを受けました。最初は先生から妻と息子に伝えられ、後で私も呼ばれました。息子も妻も言葉も出ないほどショックを受けていました。

まだ、負けてられない

私が入院した病院は、私の父親や姉の旦那さんが、アスベストとは関係ない病気でしたが入通院して亡くなっていました。病院の中を歩くと、当時の病室も覚えていました。それを見た時、「俺はまだ負けてられない」と、頑張ろうと強く思いました。

体力をつけるためには、やはり食べることが大切だと思い、食べられないながらも、「まだ死にたくない」と強く意識し、少しずつご飯を食べ始めました。

12月末頃から、免疫チェックポイント阻害薬であるオプジーボとヤーボイの点滴による治療を始めました。これは3週間ごとに2種類と1種類を交互に行うサイクルで、7月まで中断することなく続けてきました。

しかし、治療を続けていくうちに、体に大きな異変が起きました。この薬が腎臓に大きな負担をかけてしまい、血液の指数が悪化してしまいました。このままでは治療が続けられないということになり、呼吸器内科の先生がすぐに腎臓の先生に電話をかけ、検査の結果、7月から一時的に治療を中断しています。

副作用は本当にひどいものでした。ご飯が全然食べられなくなり、正月前からほとんどお粥ばかり。体重は74kgあったのが、最終的に61kgまで激減しました。体中が痒くなり、足や顔が腫れ、たまに心臓が苦しくなることもあります。これらは全て副作用だと先生に言われています。

体調の回復と日常生活での工夫

今は腎臓の治療を優先するため、ステロイドを飲んでいます。ステロイドも最初は8錠飲んでいましたが、今は4錠になり、さらに少なくなる予定です。腎臓の指数も下がってきていると聞いており、結果が良ければ、またオプジーボとヤーボイによる化学治療を再開できると期待しています。

副作用の症状はだいぶ収まってきました。今はご飯もちゃんと食べられるようになり、体重も64kgくらいまで戻りました。食べられない時期、不思議なことに、私はみかんだけは食べられました。

元気を取り戻すために、運動も欠かしません。毎日、雨さえ降らなければ朝早くから歩いています。夏の暑い時期は早朝の暗いうちに。最近も携帯を見たら7,000歩ほど歩いていました。

生活面では、風呂は入らずシャワーだけにしています。以前、病院で風呂に入っている最中に一度倒れてしまったことがあり、心配なのでシャワーだけにしています。

病気は比較的落ち着いているものの、背中が痛くなったり、このまま将来どうなるのか、という不安は常にあります。私と妻の二人で暮らしていれば年金で何とかなるでしょうが、もし私に何かあった際の妻の生活が心配です。

タクシー運転手とアスベストばく露

私がアスベストを吸った場所は特定できています。私は30年間勤めていたタクシー会社があります。その会社の車庫の天井や壁の柱にアスベストが吹き付けられていました。

その車庫は2階建てで、鉄骨の天井や柱にアスベストが吹き付けてありました。会社が除去工事を行ったのは平成17年(2005年)頃でした。当時もそれ以前もアスベストの危険性について一切説明してくれませんでした。あるときは手のひらほどの吹付石綿のかたまりが車の上に落ちていることもありました。

除去作業が行われている間も、私たちはその下で車の整備や洗車をしていました。上の階で除去作業が行われていたのですが、テントは完全に密閉されておらず、隙間からホコリが舞っていました。

幸い、中皮腫を発症してから労災の請求をして、無事に認定はされましたので経済的な不安は少しは解消されました。

家族への感謝と今後の決意

治療は中断中ですが、息子には本当に感謝しています。体調が優れない時でも、函館、松前城、定山渓、小樽の温泉など、色々な旅行に連れて行ってくれました。私は温泉が好きで、小樽の湯の花にも何回か行っています。旅行は気分転換になり、また次も頑張ろうという気持ちにさせてくれます。旅行中も、血圧計や酸素の数値を測る機械など、必要なものは全て持って行けるので、ありがたいと思っています。

この病気になってしまいましたが、私はまだ頑張ります。これからも治療と生活を両立させ、生きていきたいと思います。

 

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