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長崎での胸膜中皮腫の治療と副作用による中断(患者手記)

公開日:2026年1月9日

執筆:九州支部 一瀬三幸

※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

 

一瀬三幸と申します。長崎県在住の76歳です。

私はこれまで大きな病気をしたことはありませんでしたが、去年の夏頃から体調に変化を感じるようになりました。

最初に異変を覚えたのは、2024年7月頃のことです。肋骨のあたりに痛みが続き、「神経痛かな?」と思っていました。ところが年が明けた1月頃には歩くのもしんどくなり、「これは今までと違う」と不安になりました。かかりつけの病院の先生に相談していたのですが、その時は原因が分かりませんでした。

ちょうどその頃、コロナにも感染しました。介護施設で働いていたのですが、職場の誰も感染せず、自分だけがかかってしまいました。コロナが治った後も咳やだるさが続き、2月の上旬に再び病院で検査を受けたところ、「胸に水が溜まっている」と言われました。階段を登るのも辛く、手すりにつかまらないと上がれなくなっていて、「これは普通じゃない」と強く感じました。

紹介された長崎原爆病院を受診すると、その日のうちに入院が決まりました。胸に溜まった水を2日間で4リットル抜き、詳しい検査の結果「胸膜中皮腫」と診断されました。医師から中皮腫と診断された時、中皮腫はアスベストが原因でなる病気だと聞きましたが、思い当たることは全くありませんでした。

外科手術や放射線治療はできず、抗がん剤の治療しか選択肢がありませんと言われました。副作用への不安もありましたが、先生に「自分のことは自分でできますか?お風呂やトイレにいけますか?」と聞かれ、「できます」と答えると、「それなら大丈夫」と背中を押され、治療に臨む決心をしました。実際に行った治療は、オプジーボとヤーボイによる免疫療法です。初めて投薬を行ったときには幻覚が見えたりしましたが、その後は落ち着きました。想像していたような激しい吐き気もなく、食欲が落ちて食事がまずく感じる程度でした。

「これなら続けられる」と思えたのですが、2回目の治療の後に目が霞み、眼科で「虹彩炎」と診断されました。「このままでは見えなくなる」と言われ、治療は2回で中止となりました。それでも薬の効果は出ていてCTを撮ると腫瘍は小さくなっていました。今年8月に受診した際にはさらに小さくなっており、先生も大変驚かれていて本当にうれしかったです。

中皮腫はアスベストが原因でなる病気だと聞き、どこでアスベストを吸ったのかと考えましたがピンときませんでした。しかし、自身の職歴を思い返していく中で、17歳から3年間ほど自動車整備会社で働いていたことを思い出しました。

ブレーキパッドやシューにアスベストが使用されていたことを知り、自動車を整備する際にアスベストを吸い込んだのだと気付きました。昭和40年頃の古い時代のことでしたので、娘に協力してもらい、自動車整備会社の登記簿を取り寄せたり、当時の地図や電話番号帳を探すことで働いていた会社を確認することができました。そしてやっと今年8月に労災の申請を行うことができました。

私は小学生の頃から絵を描くことが好きでした。好きが高じて就職する際にもデパート内の看板などを製作する会社に入社しましたが、冬の賞与がデパートの商品券だったこともあり、これで生活していくことは難しいと感じ、絵を生業にすることは諦めました。しかし、絵を描くことは好きだったので趣味として続けていました。30代の頃から絵を習いに行き、本格的に描くことを始めました。個展を開いたり、二紀会に所属して東京の展覧会に出品したり、県展で賞をいただいたこともあります。大きなキャンバスに取り組むことも多く、描くことそのものが生きがいとなりました。そのこともあり、最初に入院したときには絵を描く道具を病室に持ち込み、病室の窓から見える風景を毎日スケッチしました。同じ景色でも時間帯によって光や影が変わり、それを描き分けることが面白かったです。

退院後は体力が落ち、介護の仕事には戻れませんでしたが、少しでも体を動かそうと朝の散歩を始めました。長崎は坂が多く、最初は10分歩くだけで息が切れていましたが、今では40分ほど歩けるようになりました。散歩中に出会う自分よりも年配の方が元気に歩いているのを見て、「負けていられない」という気持ちが、続ける励みになっています。

アパートの一室を借りてアトリエ代わりにしています。現在は毎日アトリエに通い、朝から夕方まで絵を描いています。作品は一度完成させても「ここが違う」と感じては手を加え、納得がいくまで描き続けます。複数の絵を同時進行で描くことも多いです。

最近は病院に作品を寄贈することもあり、自分が描いた絵を飾ってもらうことを嬉しく思います。また、娘たちに勧められて始めたインスタグラムでは、多くの人に作品を見てもらえて、コメントや反応が励みになっています。フォロワーも増え、自分の絵を通じて人と繋がれることが嬉しいです。

病気を経験して「健康が一番」「生きていくことがどれほど大変なことか」を身にしみて感じています。中皮腫と告げられて大変な病気だとわかった時は目の前が真っ暗になりましたが、今は「毎日を大事に過ごすこと」が支えになっています。長崎の風景も昔とは随分変わってしまいましたが、その移り変わりを絵に残していくことが今の目標です。

やりたいことはまだまだたくさんありますが、欲張らず、できる範囲で。これからも絵を描き続けることが、私にとって一番の楽しみであり、生きる力です。

 

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