胸膜中皮腫(上皮様)とテニスボール大の腫瘍と放射線治療(患者手記)
公開日:2025年9月25日
執筆:関東支部 根岸良昌
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。

胸膜中皮腫の発症と治療(薬物治療・手術)
根岸良昌です。現在52歳で東京都内在住です。49歳の時に胸膜中皮腫(上皮様)を発症しました。電気工事業に従事しており、現在も可能な範囲で仕事を続けています。
診断後、私はまずアリムタとシスプラチンによる抗がん剤治療を3サイクル受けました。その後、兵庫医科大学病院にて胸膜剥皮術の手術を受けました。これは肺全体を摘出するのではなく、肺の周りの膜を切除する術式です。手術後も、アリムタとシスプラチンをさらに3サイクル続けました。この初期の抗がん剤治療期間中には、だるさや食事に関する大きな副作用があり、仕事もままならない状態でしたが、幼い子供たちとの交流が大きな支えとなり、回復に努めました。
初期治療から半年から1年後の2023年4月頃、病気が再発しました。これを受けて、私はオプジーボとヤーボイによる免疫チェックポイント阻害薬治療を約1年間継続しました。この治療は3週間ごとにオプジーボとヤーボイを併用し、次の3週間後にはオプジーボのみを行うサイクルで進められました。免疫療法は当初、再発部位の腫瘍が縮小し、レントゲンや造影CTでは確認できないほどに効果を示しましたが、約1年間の治療後には、部分的に縦隔リンパ節に再発が見られ、他にも不審な箇所が一つ確認されました。この治療における副作用は、従来の抗がん剤に比べて比較的少なく、主にホルモンバランスの乱れがありましたが、免疫のコントロール薬を服用することで対応しています。
免疫療法の効果が不十分と判断された後、私は再びアリムタを主とした抗がん剤治療を行いましたが、この治療では腫瘍が消失せず、むしろ大きくなってしまいました。腫瘍の増大を受けて、放射線治療が実施されました。合計30日間、60グレイという比較的多い量の放射線が肺の2箇所に広い範囲で照射されました。放射線治療の初期には物が飲み込みにくい症状があり、薬で対処しましたが、治療終了後1〜2ヶ月後には放射線肺臓炎を発症し、全身の倦怠感やだるさが約2週間続き、肺が真っ白になり酸素供給が困難になることで、午前中はほとんど動けない状態が続きました。
腫瘍がテニスボール大に
現在、私の体調と病状は新たな局面を迎えています。オプジーボの効果が見られなくなり、以前の放射線照射部位とは異なる箇所に新たな再発が確認されました。胸部には、3〜4ヶ月前からテニスボール大にまで腫瘍が成長しているのが目視で確認できる状態です。この腫瘍は、触っても痛みはないものの、引っ張られるような感覚があり、次回の放射線治療の目印にもなっています。この新たな再発部位に対して5回にわたる放射線治療の予定で実施しており、この治療で腫瘍が多少でも小さくなることを願っています。
私は治療の選択肢を探し、積極的に情報を収集しています。遺伝子パネル検査によって、治療に該当しそうな3つの遺伝子変異が見つかっていますが、関連する治験はすでに終了しているか、条件が合わないため参加できていない状況です。ジャパンキャンサーフォーラムでの最新の講演を聴き、今後の治療が行き詰まる中で、新たな治療法に挑戦したい意向があります。
再発後は、常にブログなどで情報を収集し、オンラインを含め複数の医師からセカンドオピニオンを受けています。これにより、主治医では難しいとされていた外科的切除やラジオ波焼灼術、あるいは兵庫医科大学病院で可能な治療法など、新たな治療の可能性を知ることができ、大きな支えとなっています。
前向きに頑張る
私は病と向き合う上で家族の存在と自身の前向きな姿勢を非常に重視しています。悪性胸膜中皮腫の診断は、当初「自分ではない、本当にそうなのか」という感覚で、頭の中が真っ白な状態でした。しかし、家族の力は非常に大きく、特に妻が病名を聞いた当初から率先して情報収集や病院探しに奔走し、患者の会への連絡も行ってくれました。私自身は仕事に集中する中で、妻に任せきりの部分も大きかったです。両親や友人も、体の調子を気遣い、支えとなっています。病気のことはできるだけ忘れ、仕事に没頭し、帰宅後は子供たちと遊ぶことで、前向きな気持ちを保っています。余命や予後といった情報に囚われず、日々を前向きに乗り越える気持ちが大事だと考えています。主治医とは2年ほどの付き合いがあり、家族の話なども交わすことで信頼関係を築いています。妻も診察に同席し、質問することでコミュニケーションを円滑にしています。
診断時、3人の子供たちはまだ幼く(全員幼稚園児、現在は長子が小学校2年生)、病気の詳細(がんであることなど)は伝えていません。病気に興味を持つことはあるようですが、自分の病気とは結びついていないと考えているようです。現在は、胸部の腫瘍や放射線治療の痕のため、子供たちとお風呂に入れない状態が続いており、子供たちから不満の声があがっています。上の子には、遠くない時期にわかりやすい言葉で病気のことは伝えてみたいと考えています。
私にとって「家が一番落ち着く場所」であり、病気のことを忘れさせてくれる家族に感謝しています。他の患者さんやご家族に対しては、「中皮腫は手ごわい病気だが、前向きに頑張りましょう」とメッセージを送りたいです。時には弱音を吐いても良いとしつつ、周りの協力を得ながら自身の人生を大切にし、家族で笑って過ごすことの重要性を強調したいです。私自身は、子供たちが小さいため弱音を吐く時間はあまりありません。
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