胸膜中皮腫患者(上皮様)だった兄の言葉:「今」を乗り越えて(遺族手記)
公開日:2025年9月17日
執筆:関西支部 江藤栄子
私の兄、右田孝雄は、中皮腫サポートキャラバン隊を中心に、様々な活動に尽力していました。2024年3月2日に亡くなってから、1年が過ぎました。 気持ちの整理がついたような、一段落したような思いがある一方で、兄の存在の大きさを日々改めて感じています。 悲しむというよりも、中皮腫という過酷な病に侵されながらも、前向きに生き、多くの患者さんや家族と共に闘ってきた兄を、今では心から尊敬しています。
家庭での兄は、不真面目なところもありましたが、寂しがり屋で、面倒見の良いまとめ役でした。 美味しいものには目がなく、何か見つけると人を集めて一緒に食べることを好みました。
若い頃から兄弟の面倒をよく見てくれたエピソードがあります。私が高校3年生の時にバイクが欲しかったのですが、親に反対されていました。そんな時、兄がバイクのパンフレットを持ってきて、「お前が言ってた黒のバイクやろ」と、私が欲しいと思っていたバイクを指し示し、「欲しいんやろ?」と聞いてきました。
素直じゃなかった私は「そんなんいいよ」と言ったものの、兄は10回払いでそのバイクをすぐに買ってくれたのです。 この時の兄の優しさは、今でも深く心に残っており、兄が中皮腫という重い病に罹った時、少しでも力になりたい、恩返しをしたいという気持ちが強くありました。
生前の兄の活動を近くで見ていて、改めて感じることは多くあります。最初の2年間は、「もしかしたら明日、命がないかもしれない」という状況が続いていました。 その2年くらいの間に、今の中皮腫サポートキャラバン隊の核となる方々と出会いました。
兄が発病して2年が経った頃、「俺はもうあかんかもしれへん」と弱音を吐いたことがありました。しかし、私たち家族から見ると、2年前と全く変わっていませんでした。その当時から 2年前の兄のブログなどを見返してみると、兄自身も「変わっていない」と感じたようで、「俺もしかしていけるかもしれへん」と、気持ちが上向きになった時期がありました。
兄は、他の患者さんには見せなかったであろう弱さや不安を、特に私には見せてくれました。それでも、全体を通して、兄は本当にびっくりするほど強かったです。
51歳で中皮腫を発症しましたが、それからの兄は人間性が全く変わりました。元々優しさの塊のような人でしたが、病気になってからは、人に対して何かできないか、常に考えるようになりました。人を惹きつける力、いわゆる「人間力」は、病気になってからこそ開花したのだと思います。病気になる前は、どちらかというと私の方が気が強いイメージでしたが、兄が病を通して成し遂げてきたことは、本当に頭が下がる思いです。
兄は亡くなる2週間前に病院から自宅に戻ることができた奇跡的な時間がありました。その時も兄が交流していたある患者さんと二人が同じような状況だったのですが、何か通じ合うものを感じていたようでした。会えなくても、同じ病と闘う同志として、深いつながりを感じていたのだと思います。
今後、中皮腫サポートキャラバン隊や患者と家族の会に私がどのように関わっていくかについてですが、基本的には以前と変わらず活動を続けていく予定です。
兄が寝たきりになった時、「薬が欲しいね」とよく言っていました。「これが毒でも治ると言われたら今でも飲むよな」と患者さんと笑いながら話していた時、その患者さんも同じように答えていたそうです。
「治る病気にしたい」、その思いをこれからも訴え続けていきたいです。昨年、中皮腫学会に参加させて頂いた際、先生方が患者の苦しみを取り除く治療法を真剣に探してくださっていることが伝わってきました。そうした動きを積極的に患者さんたちに伝えていくことも、私の役割だと感じています。
兄も、患者は増えていくと言っていたので、そうした方々が諦めずに、少しでも日常生活を明るく保ちながら前向きに頑張れるよう、家族の立場から微力ながら支えになっていきたいと思っています。
今、中皮腫で治療されている方、ご家族として支えられている方、そしてご遺族として辛い思いをされている方々に、メッセージを送らせてください。
「開ける道」は絶対にあります。どのような状況でも、絶対に良い方向に向かうと信じて、諦めないでください。中皮腫サポートキャラバン隊や患者と家族の会などを通じて患者さんたちが互いに支え合ってくださっています。
医療者の先生方も熱心に治療に取り組んでくださっていますが、私はこれからもご家族の痛みも深く理解するように努めて、サポートしていきたいと思っています。兄と約束した、「あなたのやりたいことは全面的に協力する」という言葉を胸に、患者さんと家族が寄り添っていきたいです。
もし、辛い気持ちや誰かに相談したいことがあれば、患者と家族の会やキャラバン隊に、家族や遺族に遠慮なくご連絡いただきたいと思います。もし私に直接話したい、会いたいという方がいらっしゃれば、中皮腫サポートキャラバン隊や患者と家族の会にご連絡いただければ、タイミングが合えばお会いさせて頂きます。
兄との闘病生活の中で、最初の頃は言い合いになることもありました。患者ではない私があれこれ励まそうとしても、兄には響かなかったようです。 兄が寝たきりになった時、話す時間が多くあり、「患者さんを励ます言葉って何がふさわしいと思う?」と聞いたところ、兄は「今を乗り越えよう」と答えました。
この言葉を聞いた時、私はすぐにメモを取り、忘れないようにしました。実際、兄は患者さんたちに「頑張れ」とは言わず、「明日もあるし、乗り越えていって」と声をかけていたそうです。
患者さんにとっても、家族にとっても「人間力を高める」という形で一歩ずつ進んでいくことが大切だと、兄の言葉から学びました。
兄がよく口にしていたわけではありませんが、「真心」という言葉について、一度、兄との他愛ない話の中で語り合ったことがあります。
「真心って、人によって全然色が違うよね」という私の言葉に対し、兄は少し照れくさそうに、「俺って、もしかしてこれ、これまでの活動は真心でやってんのかな?」と嬉しそうに言いました。
皆さんが兄の活動から何か感じ取り、そう思ってくれているからこそ、多くの方が集まってきてくれ、声をかけてくれるのだと感じました。「そっか、真心か。ええ言葉やな。今まで意識してなかったけど、それを自然にできていたっていうことは、ええことやな」と、酸素マスクを着けながら、兄は本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれました。
この話は初めて明かすことですが、亡くなるまでの最後の2週間は、ただ死に向かっていたのではなく、人生の総まとめをきちんと行っていたように感じています。覚悟を決めたのは最後の2週間だったと思いますが、それができたのも、周りの皆さんが兄に向けてくれた温かい気持ちがあったからだと思います。兄は、病気を治すことはできませんでしたが、人間として生きる中で、最高の人生を送れたのではないかと私は思っています。
私は人前に出ることが苦手ですが、兄は正反対で、何でもアピールしたい、自由奔放で、誰とでも分け隔てなく、年齢の離れた方ともすぐに仲良くなれるような人でした。 性格的には正反対でしたが、多くの人に愛されるという点は共通していました。
時には、兄の存在の大きさに押しつぶされそうになることもありますが、忘れようとするのではなく、共に生きているような感覚で、これからも中皮腫の活動に携わっていきたいと思っています。
中皮腫遺族の手記