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造船現場のアスベスト被害者へ国は補償を!悪性胸膜中皮腫遺族の訴え(造船アスベスト国家賠償請求北海道訴訟第1回口頭弁論意見陳述)

公開日:2023年5月23日

2023年5月23日に造船アスベスト国家賠償請求北海道訴訟の第1回口頭弁論が札幌地方裁判所で開かれました。

以下は、原告であるAさんが法廷で意見陳述をした内容になります(一部、個人の特定等、配慮が必要な固有名詞をイニシャルにしています)。

執筆・北海道在住 悪性胸膜中皮腫遺族 A

1 悪性胸膜中皮腫に罹患

今日はこの裁判に対する想いを裁判官に聞いていただきたく意見陳述をさせていただきます。

私の夫であるAは25歳から36歳までの間、船のメインエンジンの取り付け、その修繕などの仕事をしていました。その際に取り扱った石綿入りのロープ(紐)などが原因で悪性胸膜中皮腫に罹患し、亡くなりました。

夫は真面目に一生懸命に働いて生きてきた自分がなぜ不治の病に侵されたのかという割り切れない想いと、残る家族を心配しながら旅立ちました。

2 前向きで、病気知らずの人生

私と夫は、私が21歳夫が22歳で結婚しました。

機械に詳しかった夫は、25歳からしていた船のエンジン整備の仕事が好きでとても頑張っていました。

31歳で子供が生れた時、「自分は中学卒業後、職業訓練所で溶接の技術を覚えての就職で、学歴は中学卒業のままで、子供が成長したら恥ずかしい」と言い、高校に入学をして、4年間掛けて卒業しました。

それからは、二級ボイラー技士資格、大型自動車運転免許、大型特殊運転免許などの他、仕事に関連する資格取得と得た資格の進級も目指し55歳で一級ボイラー技士資格を取得するなど、主人の生き方は常に前を向き一貫しておりました。また、病気知らずの健康な人でした。

長期の休みには、沖縄や本州に行き、短い休みには数年掛けて道内の道の駅を制覇するなど、いつも一緒に遊び家庭を大切にしてくれました。

3 自覚のないアスベストばく露

しかし令和元年12月29日朝、夫が急に胸から脇にかけ寝返りをしても痛いとSクリニックを受診すると、先生からK病院を紹介されました。

同日K病院の診察で、胸水が溜まっているため翌日から入院となりました。

令和2年1月9日退院後、1月24日、診察した先生が、胸水が増えている事から詳しい検査が必要と言い、その結果からS病院への転院となりました。

令和2年3月10日よりPET検査やカメラを挿入しての検査を受け、4月9日悪性胸膜中皮腫と診断されましたが、既に手術は出来ず延命目的の抗がん剤治療が妥当との事でした。

それからの夫は副作用にひたすら耐え、抗がん剤が替る度に入退院をくり返すなか腹膜の薄い所から腹部に転移し、腹水が溜り腹水を抜く処置は亡くなるまで続き、とても苦しみました。

病状が段々と悪化することに、私は、夫がいつ吸い込んだのか自覚も無いままに数十年という長期間アスベストを体内に秘め、あの幸せな日々の底に、いつ暴露するとも判らないアスベストが有り、そんな物の上に築いた家庭だったのかと、とても悔しい想いでした。

令和3年4月22日のS病院退院の時には、もう使える抗がん剤は無く、緩和病棟のある病院への転院を勧められました。

6月17日に緩和病院を受診しましたが、コロナ禍で面会制限も厳しく、夫も私も在宅療養を望みました。

それからはSクリニックのK先生に、3日に一度の腹水の処置を2日に一度に増やしてもらいながら、苦しい時には、深夜、早朝にも駆けつけて下さり、大変お世話になりました。

4 必ず傍で守ってあげる

自宅で過した令和3年4月末頃から亡くなった8月11日までの間は、介護資格を持つ私が、褥瘡予防と皮膚のケアのため2時間おきに体位交換をしており、片肺で酸素吸入器を使用していた夫には苦しい瞬間でもありましたが、昼夜を問わずのこの期間は会話も多岐にわたり私達には、とても濃密な時間でもありました。

一人残されるのが嫌だという私に、「必ず傍で守ってあげる」と答え、夫は他界後すぐにお墓に行くのは嫌なので、お骨になっても私が他界するまで自宅で過し、二人で一緒にお墓に行こうと云い、子供にもその様に伝えてます。

夫の遺骨は今もリビングに居て、一人にしたくない想いから私もリビングで寝起きし、朝は、お位牌を前に、夫への感謝や、前夜の夢に現れた夫との事、楽しかった想い出、悲しい気持を手紙に書き、時に寂しさから一日も早く迎えに来てほしいと話し、叶うなら来世で夫と再会できる事を願っています。

5 なぜ造船現場のアスベスト被害救済を拒むのか 

弁護士に、なぜ国は造船被害者の救済を拒むのかについて尋ねると、働いていた場所が建設現場でないだけとの事、そして造船現場でのアスベスト被害に関し、国の責任を追究する裁判は今まで誰も起こしていない事、国が責任を争い続けたら、私の負担が大きいとも聞きました。

もし、裁判で国の責任が認められたとしても夫はもう帰ってはくれませんが、私は不治の病だからこそ、国の厳しい規制が重要であり、治せない病だからこそ、国のしっかりとした対策が不可欠だと思います。

造船現場で働き、同じように被害に遭われている、多くの方がおられ、私は、その方々の救済の足掛りになれるかも知れないとの思いから今回の裁判を起こすことにしました。

6 アスベスト被害を受け、悪性胸膜中皮腫になった夫の死を無駄にしない 

私は、夫の死を無駄にしたくありません。

同じ石綿の被害に遭い、同じ原因で同じように苦しんでいるのに働く場所の違いだけを理由に救済されない現状は職業差別を受けているに等しく、どのように考えても不合理で到底納得できるものではありません。

夫は病に侵されていく自分の身体と向き合い、回復の希望さえも無く、側にいて、私は、アスベストを吸い込みさえしなければと唯々悔しく思いました。

今後石綿被害者のピークを迎えると云われている状況にあって、国は石綿被害者やご家族のどれ程の不幸を見殺しにして来ているのでしょうか。 この現状に一石を投じ、同じ苦しみを受けている被害者やご家族救済の一助に成る事が出来れば夫の悔しさも報われると思います。

この裁判では、私の掛け替えの無い大切な夫が何故に亡くならなければならなかったのか、国がアスベスト被害を防止するための対策をしていたら、このような悲しい現実を迎えることがなかったのではないか、石綿被害についての対策をしなかった国に責任はないのかについて適切な判断をしていただきたいと思います。

また国は自らの責任を否定する事で私達被害者を二重に苦しめている事を理解して、責任を認めた上で早期に造船アスベスト被害者に対しても救済するべく制度を作って欲しいです。

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