父と家族の闘病記

吉崎和美

《~発病~》

 "胸水貯留の為、精密検査の必要あり"という健康診断の結果が悪夢の始まりでした。

 私の父、64歳、2001年12月、年の瀬も押し詰まった頃でした。年が明けていろいろな検査を繰り返すものの、なかなか診断がつかず不安ばかりが募るなか、3ヶ月経ってようやく出た病名は<悪性胸膜中皮腫>でした。本人、家族、父の弟妹が医師の告知を受けました。その時の光景は今でもはっきりと鮮明に脳裏に焼きついていて、思い出すだけで息苦しさを覚えます。医師の言うことを聞き逃すまいと必死に神経を集中させようとするのですが、"悪性"という言葉の響きに私の思考は止まってしまいました。そんななか、父は前もって用意してきた質問事項について一つ一つ確認していきました。「手術はできるのか?」という父の問いかけに、医師は「胸腔鏡検査をして、腫瘍の大きさによっては手術できないので抗がん剤治療を行うことになる」と告げました。

 その夜、私はパソコンの前に座り、悪性胸膜中皮腫について調べて愕然としました。これといった治療法もなく、抗がん剤の奏効率も悪く、またその予後の悪さに目の前が真っ暗になりました。でも、手術をして悪い部分を取り去れば大丈夫だ、と言い聞かせて、自分自身で鼓舞させていました。しかし検査の結果は"手術はちょっと難しいので抗がん剤治療を行う"という最悪のものでした。素人の私にでも"初期の段階での外科的な処置が行えない場合は、進行がんで完治が見込めない"というぐらいの知識はあったので、言葉を失ってしまいました。

《~闘病生活~》

 2002年5月から抗がん剤治療が始まりました。様々な副作用に悩まされるのは言うまでもありません。でも前向きに必死に頑張っていました。4ヶ月の入院を得てしばらく自宅で治療していましたが、2003年1月、この病気を専門的に見ている医師のセカンドオピニオンを受けて、他県の医大で再度抗がん剤治療を受けることにしました。電車に乗り継いで行くのは体力的に大変なので、片道一時間かけて高速道路を走って行きました。とても大変でしたが、数え切れないほど、みんなで必死に車を走らせました。時には車の中で吐きそうになることもありました。酸素が途中で切れて苦しくなることもありました。高速の渋滞に巻き込まれて、家までなかなか辿り着けないこともありました。こんなに遠くまで何度も頑張って行っているのだから、父の病気は絶対良くなっていくのだと信じて、車の運転をしていました。しかし病気の進行を食い止めることは難しく、胸水の量は増え、痛みも激しくなっていきました。

《~労災申請~》

 "アスベストに関係のある仕事をしていなかったか?"と医師に何度も同じ事を問われました。父が記憶をたぐり寄せるのに少し時間がかかったのは当然です。なぜならアスベストに関わったのは、35年も前、2年2ヶ月の間のことなのですから。

 いろいろと調べていくうちに、この病気の原因が35年前のアスベスト吸引にあることが判り、労災申請をすることにしました。最初は何もよくわからず、ただ父に言われるがまま、労働基準監督署に行ったり、数々の申請書や書類を作成していました。そうこうしているうちにアスベストに関する知識を得、父がしていた仕事の状況を知ることになり、その危険性に驚愕しました。また目の前に山積みする問題に、大変なことになってしまったと私は不安になりました。しかし、父は辛い闘病生活を送りながら、常に前向きに一つ一つ対処していきました。ところが、待てど暮らせど労災認定されないのです。ちょうどその頃です。新聞記事に見つけた「患者と家族の会」に父が連絡をとったのが。そして多くの方々が父と同じ病気に侵され苦しんでいることを知りました。

 "労災認定は一体どうなっているのか!"私は半ば諦めかけていました。そんな時、監督署からこんな言葉を突きつけられたのです。"<アスベスト関連所見>が確認出来ない為、組織生検をする必要がある"。"…はぁっ?!…"家族一同言葉を失ったのは言うまでもありません。だんだんと弱って苦しんでいる患者本人に、人体を傷つける検査を要求したのです。最初は呆れて唖然とし、無念でしたがそんなことまでしなければならないのならば労災申請は諦めよう、もういい!と私達は思っていました。そのことについては、父はあまり多くを語りませんでしたが、必死になんとかしようとしていました。

 結局、父の件は「本省協議」となり患者と家族の会、関係者の方々の尽力のおかげで、1年ほどかかってようやく労災認定されました。

《~家族~》

 私がこの原稿を書いている2005年1月10日、父は週末の外泊で病院から自宅に戻ってきています。悪夢の始まりからちょうど丸3年が経ち4年目に入りました。"家はありがたい"と常々言っている今の父にとって、二人のかわいい孫の天使のような微笑が一番の薬であり、励みとなっているようです。夕食にはみんなで「かにすき」を食べました。

 "おいしかった"と言ってくれました。

 私達の闘いはこれからもまだまだ続きます。

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