*** 華のように ***

大森華恵子

《 貴方のやさしさ 》

「結婚してくれなければ仕事も手につかないので会社を辞める」と言うくらい熱心にプロポーズしてくれた貴方でした。
結婚後も変わることなく優しかった貴方でした。

二人の娘にも恵まれてなに不自由の無い生活の最中、私はいわゆる「うつ状態」になりました。体重が激減して、外出はおろか食事の支度さえできなくなりました。その時に貴方は「この様な状態になっていることに気づかないで、余計に悪化させたのは自分せいだ」と自分自身を責めましたね。
以来、仕事と食事の支度とを担ってくれて、大変だったでしょう。
翌年、環境に良いからと郊外に引越しをして、私の体調も回復を始めました。

《 突然の病魔に 》 

そのころですね。貴方の体調が悪くなったのは。
春さきから風邪をひくことが多くなり、病院に訪れた貴方は大変な病名をつげられたのでした。
「肺がん」という言葉に動揺した私でしたが、その後は更に「悪性胸膜中皮腫」という病名に変わったのです。
アスベストによってなる病気。治療法が無い。
その結果、貴方は片肺を切除する大手術をしました。

《うさぎの様な真っ赤な目をして》

労働災害としての認定を求めてもなかなか、誠意ある対応は返ってきませんでした。企業とは弱者には冷たいものなのでしょうか。働くだけ働いてきて、いざ病気になると口先だけの対応しかしてくれなかった会社側の態度に「裏切られた」とうさぎさんの様な真っ赤な目をして男泣きになきました。
「お父さんは、病気の治療に専念して。労災として必ず認定してもらうから」という私の言葉を聞いて貴方はホッとしたような顔をしていましたね。
でも労災の手続きがなかなか進行しない中、貴方は私達を残して逝ってしまいました。

貴方や私達家族の無念の思いを考えると、労災認定は是が非でも実現しなくてはいけないものと思いました。

《安全センターとの出会い》

その様な折、娘が国立図書館に通って東京安全センターを知りました。
そして、紆余曲折をえながらも貴方の思いの篭った「労災認定」をしてもらう事が出来たのです。
実に二年がかりの認定でした。

労災認定はしてもらったものの、大切な貴方はもう戻ってこない。
私が病気になってから懸命に支えてくれた貴方に、恩返しがしたいと思ってみてももう貴方はいない。「愛してるよ」と言ってくれた貴方の言葉はもう二度とは聞けない。

《 愛ひとすじに 》

なぜ、一筋に妻を愛し子供を愛しんでくれた貴方が、人生半ばにて逝かなければならなかったのでしょうか。
無念の思いは今も、残された私達母娘には納得が出来ません。
安全センターから「労災認定」の知らせがあった日の朝、私の枕元に貴方は立っていましたね。喜びの報告を教えてくれようとしたのですか?
そのように、今でも貴方は私達を守ってくれているのでしょうね。
そして今は、家族の会を通じての多くのお友達との出会いもありました。
これもきっと、貴方が引き合わせてくれたのでしょうか。

いつまでも「華やかに恵まれて」幸せになって欲しいと願ってくれた貴方。
大丈夫よ!
貴方とふたり分の、おおきな華をいつまでも、きれいに咲かせますから。
見守っていてね・・・。

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