なぜ? 自分がこんな事に…

中村實寛

 学校を卒業して宮崎で建築大工(木造住宅大工)の親方に弟子入りして仕事を始めてから弟子を卒業して職人となり大阪に出て来て造作大工として約23年間働きその後同じ会社で現場監督として15年間ほど働いて来ました。

 そして建築業界で義務付けられた1年1回の健康診断を平成15年2月に健康管理センターで受診し約10日後に健康管理センターから再診の必要がある旨電話がありました。

 3月4日に再診のため健康管理センターに行き担当の医師から右肺に異常のあることを告げられました。少しでも早く専門の医師で再検査をするように進められ、紹介状とレントゲン写真を借りてそのまま病院に行き診察を受けて、週1-2回の検査を受け約1ヶ月後位に呼吸器外科に回されて、外科でも検査が続き4月中旬頃 医師から「細胞検査をしよう」と言われ、その時の診断が(胸膜中皮腫の疑い)との事でした。

 「全身麻酔で検査します」と説明され、(大変な病気なんだ)と思ったけど、どうしたら良いのか分らない。(とにかく検査を受けてから考えよう)と、今悩んでも仕方ない。

 細胞検査のため4月30日 入院

 5月2日 細胞検査の手術 9時から始まり約3時間

 夕方医師が病室に来て「中村さんやっぱり黒だったわ 悪性胸膜中皮腫」と 検査の結果を告げられて、その後 指を2本立てて「このままだと後2ヶ月」と 余命を宣告…

 「手術して胸膜と腫瘍を全部摘出する方向で計画しましょう」と 言われるが、そのとき頭の中は真っ白くなりました。2ヶ月と言う言葉にショックで2、3時間 記憶がない

 その夜 傷の痛みと恐怖と家族の事を考えて眠れない。


 恐怖それは始めて経験する死への恐怖 2ヶ月の余命。でも手術したら何ヶ月?という不安と恐怖。そして家族の事などが頭の中をグルグル廻っていて眠れない。検査を受けたその日に家族は手術の予約をさせられたそうで「少しでも早く手術をしたほうが良いから」と医師に言われての予約…その夜 妻が泣いているのを見て息子が「今日は思い切り皆で泣こう、明日から親父の前では絶対泣いたらあかんで」と言って皆で号泣した事を6月退院してから聞かされて感激…今まで頼りないと思っていた息子が逞しく思えました。

 5月5日 今後の手術に向けての検査の進め方などの説明を受けて5月7日に一時退院

 その後通院で検査を受けて 5月21日再入院 その頃は開き直り(ここで負けてたまるか、手術したら良くなるんだ)の気持ちになっていました。入院してからも色々検査を続け

 5月27日に手術、朝9時から手術が始まって23時30分までの大手術。

 深夜0時頃ICUに子供が面会に入って来た時に子供の顔を見て(手術は無事終ったんだ、生きているんだ)と実感した。子供の「頑張ったな、良かったな」の声に向かいうなずきながら親指を立てて返事したように思う(夢だったかも)…

 5月28日朝9時頃ICUから一般病棟(個室)に移動  体全体が痛い

 午後 先生が回診に来て手術で摘出した胸膜(腫瘍)の写真を示しながら「きれいに全部取れました」と言われたのを聞いて安心したのを覚えている。家族、親戚の皆から「手術が成功して良かったね」の言葉に「うん」と返事をして・・(ここまではみんなの協力と先生のおかげで手術が成功したんだから、これからは自分が頑張るしかない、早く直して一生懸命生きて行こう)と決心する。


 順調に傷も治り6月25日退院の日を迎える事ができました。

 退院してからいろんな事を考えました。(腫瘍の一部が残っていてどこかに転移しないだろうか。また いつになったら働けるようになるのだろうか。このまま働く事ができないのでは)手術の説明の時に左にも軽微な胸膜肥厚があると言われたけど今後どうなるのだろうか、いろいろ考えても仕方ないか、前向きに考えるようにしようと思ったのですが、昼夜を問わず傷が痛いのと将来のことなどを考えて眠れない日々が続く。夜 私が眠れないで動くから妻も私の動向が気になり寝不足状態が続いていた。その頃、うつ状態になっていたんだと思う、家(8階)のバルコニーの手摺りを飛び越えたらどんなに楽になるだろうなと思いながら階下を見ていた事もたびたびありました。でも今そんなことをしたら家族や近所に迷惑だし、悲しませる事になると考え思いとどまりました。


 そして夏から秋頃{胸膜中皮腫}とは どんな病気なのだろうかと思いながらインターネットで調べていたら、アスベストとの因果関係が大きい事が分り、仕事で新築の現場では鉄骨に耐火被覆の吹付け作業をしている横で仕事をしていた事や墨だしをする為に箒で掃く時に埃になって舞い上がっていた事。また 改修工事では天井・壁をめくると劣化した耐火被覆が落ちて来ていた事。などを思い出し、もしかしたら職業病では?と思い、労災の対象になるのではないだろうかと考えて、11月になってから労災の申請を手伝ってくれる所はないだろうかと、インターネットで検索していて関西労働者安全センターの事を知り、すぐ電話で相談しました。古川さんが電話に出られて、「詳しく話を聞かせて下さい」と言われ、11月11日関西労働者安全センターに行き相談したら「労災の申請に向けて頑張りましょう」と快く引き受けて頂き、それから私の面談報告書、元同僚の面談報告書の作成にと忙しく動いていただき平成16年1月21日淀川労働基準監督署に労災申請を古川さんと共に提出して平成16年7月29日付けで労災認定の報告を受けました。

 古川さん、関西安全センターの片岡さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして平成16年2月7日 中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会が発足してから私も患者会員として4月19日の(世界からアスベスト被害をなくす大阪集会)に参加させて頂きました。また11月19日 2004年世界アスベスト東京会議へ1日だけでしたが参加させて頂きました。世界の各国のアスベストに対する取組みや対策などを聞き、また患者さんや家族のたくさんの方々とお話できて有意義な1日になりました。

 いろいろと発案及び準備などでご尽力いただいた世話人の方々、それと事務局の皆さんご苦労様でした。それとみなさんに折って頂いた折鶴が患者と家族の会のブースで華やかに輝いていたのが印象に残っています。また外国の方が何名か折り方を教えて欲しいと言って一緒に折った事、プレゼントに渡した折鶴をにこやかに持って帰られた事などが印象深く残っています。


 今後も皆さんと一緒に家族の会に参加させて頂けたらいいなと思っています。

 家族の会の輪が大きく広がることを願っています。

 また患者の皆さんが一日でも早く良くなりますように。

 そして労災申請中の皆さんの労災認定が一日も早く認定になりますようにと願っています。

 一人でも多くの患者さんが労災の認定になるように願っています。

 家族の会の世話人のみなさんのご活躍を期待します


 そして今思う。

 なぜ自分がこんな聞いた事も無かった病気になったんだろう。

 妻や子供に養って貰っている自分が情けないけど仕方がないか。

 とにかく あせらず、無理せず、ゆっくり体力をつけよう、そして今を精一杯に生きよう、感謝の気持ちを忘れずに。

 今年も家族の会のみなさんと共に楽しくやれたら良いなと思っています。


 そして静かなる爆弾と仲良く暮らしていこう、生きている事は素晴らしい事だと思う。  がんばるぞ


 みなさんのご健康を祈念いたします。


 最後になりましたが、昨年はお世話になりました

 今年もどうぞよろしくお願い致します

 今後ともよろしくお願い致します。                  

2005年1月 中村實寛 

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