まさに現代の「女工哀史」

泉南の国賠裁判傍聴記

関西支部 後藤雅子

 裁判の傍聴は正直言って、疲れる。専門用語が飛び交い、責任回避ともとれる答弁にいら立ち、しまいには冷静な判断力さえ、なくなってしまうのである。そんな中でこの日の傍聴の終了する頃、目頭が熱くなり、あたかも映画の一場面を見るかのような感慨が走った。

 若い弁護人が、年老いた原告のおひとりに「石綿肺にならず、健康な体だったら、第一に何がしたいですか。」と、いたわるかのような口調で静かに質問されると、71歳の石川千代子さんが、「隠岐の島に帰って、海で遊びたい。」とおっしゃったのである。「草むしりや、庭いじりもしたい。山にも行きたい。」と続けられた時、不覚にも私のまぶたに「あゝ野麦峠」のあの悲しい場面がよぎって、涙ぐんでしまったのである。

 殖産興業の日本の近代化の勃興期にあった女工哀史の物語とこれはまったく同じ構図ではないかとさえ思えるのだった。石川さんの「石綿の危険性を知っていたなら、この仕事をしていなかった。私の健康な体を返してほしい。」と、国を相手に訴える気持ちがひしひしと伝わってきた。

 昭和30年代、日本が戦後復興の入り口にさしかかっていた頃に、石綿工場で働いていた人達が身ぎれいな格好で帰郷するのを目にした石川さんは、都会暮らしにあこがれて、上京し、泉南地方にやってきたのである。

 それは、奇跡の復興とうたわれた高度成長下の日本の各地で、何百万人という若い人々をつき動かした豊かさへの原動力でもあったのだ。

この日本経済の光と陰の功罪が今、問われているのである。

 私の夫も言ってみれば、都会の人口がふくれ上がり、学校が新設され、増改築された頃に、四国の田舎から、大阪市教委の求人に応じて、やって来た若い教師のひとりだったのである。

 それから20年近く勤めて、中皮腫という当時非常にまれな肺癌を発症して急逝した無念さを思えば、国とアスベスト企業には、アスベストの危険性に対してあまりにも無為無策であったことを認め、犠牲者の数を増やし、環境被害を拡大させたことに謝罪と公正な補償をすべきである。

 中学校の社会科の教科書に四大公害病の記述がある。『高度経済成長によって、人々の生活は豊かになる一方で、公害問題が次々と起った。経済の活動が利益を最優先に考えるあまり、人々の健康や自然に対する配慮を欠いていたためである』とあるが、泉南の石綿被害もまさにその範ちゅうに入る公害である。

 野麦峠の女工哀史の一説は国語の教科書にとり入れられ、映画にもなったが、まだこの石綿工場の悲劇は教科書に載せられていない。

 国や企業が責任を認めていないからである。

 石綿の被害を受けた人々が、高齢化し、やがて死に絶えて時の風化の前に消滅してしまわないうちに、国は自らの手で、若い人々にこのいまわしい記録を伝え、公害の根絶と環境の保全を図る責任を、この裁判を通して実現してもらいたいと切に願っている。

Copyright © 2004-2016 JAMARDVF. All rights reserved.