想いひとつ

古川和子

 私の夫、古川幸雄は3年前の3月28日に死亡いたしました。

 若い頃からただ一筋に働いてきた職場において、溶接作業の時に使用していたアスベスト(石綿)が原因でした。主人がいなくなってから3度目の冬を迎えました。

 もう主人のいない生活に慣れた・・・と思ってはいても、心の琴線に何かが触れた時は涙が溢れてきます。

 主人が発病した当初、病院の医師から「昔、アスベスト(石綿)を使っていましたか」という質問にも「アスベスト?」といって言葉の意味がよく理解できなかった私です。それなのに、ある日突然に主人と私の生活はアスベスト(石綿)という物質に振り回されるようになりました。そして、その時から私達夫婦の孤独な戦いは始まりました。

 当時宣告された病名は「悪性胸膜中皮腫」でした。

 「この病気は効果的な治療法はありません。抗がん剤もこれといった有効なものはありません」と告げる医師に「手術は出来ないのですか?放射線は?」必死で質問を繰り返す主人は真剣そのものでしたが、医師の答えは主人の希望を打ち砕くようなものばかりでした。その会話を聞きながら、主人の横でまともに顔を上げることが出来なくて流れる涙をぬぐう事が精一杯の私でした。死の宣告とは、このようなものなのか。いつもテレビ等で見ているが実際に自分の身に起こるとは考えても見ませんでした。

 医師の説明後も主人は気丈に、今後も仕事のこと等を私に話しました。いつまで生きる事が出来るかわからないけれども、安心して治療に専念できるように、今後の生活設計を考えました。その時に医師に言われた「これは労災保険による治療となりますから手続きを取ってください。」という言葉を信じて労災保険の申請をしました。

 労災保険の申請をしていく中で、いかに夫が危険な状況のもとで仕事をしていたのかという事がよく解かりました。そして、その危険は労働者達には何も認識されていなかった。その危険な作業の防護管理もなされていなかった。必然の結果として、犠牲者は出ました。犠牲者は年を増すごとに増え続けています。アスベスト(石綿)が原因で発症する病気の中でも中皮腫(悪性胸膜中皮腫)は悪性が強くて、効果的な治療法はないと言われています。しかし、厚生労働省はこの中皮腫について治療の点では「一般の癌」としての認識しかないようです。また、アスベスト(石綿)が原因で発症するといわれている中皮腫ですが、労災認定の道のりは大変に険しく、診察する医師もこの病気と労災に対しての認識度が薄いと感じるのは私だけでしょうか。事実、主人の労災認定も大変な苦労がありました。

 抗がん剤も効かなくて「好中球」の減少が著しく「今度抗がん剤を打てば死ぬ」との医師の言葉に治療への道を断念せざるを得ませんでした。ただひたすら死を待つ主人に、掛ける言葉も見つかりませんでした。「最期の思い出を作ってあげなさい・・・。」と医療関係者の方は皆が口を揃えて言います。しかし、真っ黒なトンネルの中にいる者にとってはそれどころではありません。「死」が確実に迫ってくるというのに自分がどんな病気かさえも解からなかったのですから。

 労働基準監督署に労災申請を出した答えは「不支給決定」でした。職業的にはアスベスト(石綿)を使用していたと認められる。しかし、労災認定を受けるために必要な病名を断定するための要件が満たされていない、という回答でした。主人は最初に聞いた「悪性胸膜中皮腫」ではないのでしょうか。医学の知識が無い私達は「いったい何の病気なのだろう?」と途方にくれました。これといった治療法もないまま主人は弱って行きました。「最後の思い出」作りなんかよりも「何故自分がこんなに苦しんでいるのか。何故自分が死ななければならないのか。」ということを知ることのほうが重大でした。病名が間違っていたら「誤診」ならば治療をして、社会復帰出来るのです。あくまでも主人はその様にはかない夢に望みを託しました。

 しかし、主人の病気は確実に進行していました。その様な中にも、大きな救いは労災が認定された事です。複雑な気持ちでした。嬉しいはずの「労災認定」は主人の死を意味するのですから。

 ずっと、主人が亡くなってからも暫くは「悪性胸膜中皮腫」が主人の死亡原因と信じてきましたが、ある時に驚く事が解かりました。解剖の結果は「アスベスト肺がん」であったと聞きました。

 え、と言葉に詰まりました。あれ程の詳細な検査・検査で診断された病名なのに。

 病名が変わっても主人の体内からは「アスベスト(石綿)小体」なるものも確認されているから労災認定には変更はありませんでした。しかし、今でも私の頭の中ではその事実を受け止めようとしているのに、身体で記憶している部分が修正出来ません。

 まるで悪魔のような病名を聞かされた・・・というショックは、書いた日記を消しゴムで消して修正するようにはいきません。「なんでこんな病気に」ということも主人は言いました。私達では理解できない病気だから、なおさら苦しんだのです。その思いはどこにぶつければよいのか、今も心で葛藤をしています。でも、まだ主人は幸せだったのでしょうか。生存しているうちから労働災害としての病気だと知らされていましたから。タバコによる「肺がん」として死亡する方の中にも、もしかしたらアスベスト(石綿)による肺がんの方がいるかもしれません。過去の作業においての労災だとは知らされないで、残されたご遺族が生活に大変な思いをしているかもしれません。この問題は今後の活動においての大きな課題です。

 幸いにも私達は以前からの罹りつけの医師によって心のケアはされてきました。

 しかし、この様な職業災害の医療現場に携わる医師たちはもっともっと、患者の身体だけではなくて心のケアも必要だと思います。医師国家試験に合格して晴れて現場に出るでしょう。しかし、その現場には生きた人間達がいるのです。病を負った人々は心の中からも鮮血が噴出しているのです。

 昔、真っ黒になって日本の産業の発展を支えてきた人たちがアスベスト(石綿)の被害に蝕まれてゆく事に対して、アスベスト(石綿)を輸入し、危険が解かってもなお使用し続けた国は、どの様に考えているのでしょうか。以前に放送のあったNHKの番組の中では「アスベスト(石綿)の危険は昭和35年頃から指摘されていた」と言っています。その危険を承知で使用させてきた国に責任は無いのでしょうか。

 主人は亡くなる少し前に「心配するな。天国から見ていてやるから」と言いました。私のことを「頼りないなぁ」と口癖のように言っていた主人です。最期の最期まで私のことを案じていました。その主人が亡くなって一年が過ぎた頃に石綿対策全国連の総会に招待していただき、名取先生はじめ埼玉の大森さんや他の遺族の方たちと出会いました。そしてその10ヶ月後には初めて全国から遺族・被災者の方が集まりました。遠く北の地から初めて訪れたという一宮さんと娘さん、感動しました。今まで一人で孤独な戦いを強いられてきた人たちが一つの輪になろうとしていました。

 そして、そのまた一年後には「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」が誕生したのです。一人じゃないのだ!と誰もが感じた瞬間です。

 そして更に感じた事は、「きっと、皆さんそれぞれのご主人や配偶者の想いがこの繋がりを作ってくれたのだ」ということです。現在は「頑張ってやっていけよ」と言った主人の言葉の意味をかみ締めながら、この会のもつ責務の重大さをもかみ締めています。今後の犠牲者を一人でも減らし、また一人でも多くの被害者を救済できるような活動に繋いでゆきたいと願っています。

Copyright © 2004-2016 JAMARDVF. All rights reserved.