弟の死

 武澤 泰

 昨年の9月20日私の弟が他界致しました。まだ48歳でした。

 弟は、一昨年の6月頃から胸の異常を感じ、8月には胸の痛みが耐えられなくなり病院へ行きました。最初は肺に膿がたまっていると診断されその治療をしていました。一時痛みが治まりつつあったのですが、再び胸の痛みに襲われ入院する事になりました。

 医師から何度も何度もアスベストを扱う仕事をしていなかったかなどと問われましたが、その時点ではまだクボタの情報開示は無く、アスベストという言葉すら始めて聞く事で、全く身に覚えが無い事でした。

 医師としては、「肺がん」または「中皮腫」の疑いが濃いと考えていたようです。

 もし中皮腫であれば早期に片肺を摘出する必要があるのですが、弟自身のアスベストとの接点が見つからない為、原因が解らないまま片肺を摘出するという大きな手術をして良いものなのか、医師は迷っていました。結局は時間だけが過ぎて行き、数ヶ月間痛みを押さえる為の治療だけで時が過ぎて行きました。その病院では最終的には「もう自信が無い」と言われました。

 「このままでは病気も治らない」と言う私達家族の勧めで、弟は兵庫医大へ行く事を決意しました。入院・検査の結果、初めて「中皮腫」とはっきり診断され、ここでも何度も何度もアスベストとの接点を問われました。

 色々と手を尽くし治療して頂きましたが、結果はもう手遅れで余命半年か1年ぐらいと宣告されました。「もう少し早くから分かっていれば手の尽くしようがあった」と言われた時は、母や私達家族は以前の病院の医師を怨みたくなりました。でも、それから間もなくしてクボタの発表があり、その状況が徐々に分かるにつれて医師の責任ではないと思いました。

 クボタをはじめ国も、なぜ、なぜ今頃? なぜもっと早くから情報を開示しなかったのか? 後1年でも早くから情報を開示していれば…・・今、母と一緒にここにいるのは私では無く、弟だったと思います。そして、もっと早くから情報を開示する事により、医師ももっと知識がついて、患者の早期発見ができ適切な治療が出来ていたはずです。おそらく過去にもたくさんの方が何も知らずに他界していっているはずです。

 そして、その家族も悲しみと精神的、経済的にも苦しい思いをされている方もたくさんおられるはずです。 

更に今回の事実を知る事により、この無念さは計り知れないものがあると思います。弟が、他界する前日に「まだ生きる事ができるのなら、今なら何でもやりたい…無念です…」そう言い残しました。

 弟は、約30年近くうなぎを扱う仕事をしていました。店を持つことが夢で、根がすごくまじめでした。一人前になって家族を養えるようになるまでは、結婚も一切の贅沢もしないと決意して頑張っていました。そんな、弟が2-3年前からそろそろ店を持つことを考えようとしていました。同時に一人暮らしの年老いた母親を呼び同居する計画も立てていました。その為にマンションも購入しました。この時期から母をはじめ私達家族の交流が更に深まり、店を出したら母や私の娘も手伝うなど、みんなで色んな夢を描いていました。しかしその夢は、何の予告も無く次々と崩され、とうとう消えてしまいました。

 母も私達家族も、弟の「無念」と言う最期の言葉の計り知れない重さを知っています。そして弟が自分自身だけでなく、「このままだともっともっと多くの、自分と同じ苦しみを味わう患者が出てくる」という意味の事も言っていました。私達は弟の最期の「無念」という言葉を晴らせる報告ができるまで、闘い続ける決意です。

 私達同様、いや、それ以上に苦しんでいる方やその当人だけでなく、その家族も、もっともっと苦しんでいる方がたくさんいます。クボタをはじめアスベスト関連の企業、そしてその管理対策を甘く考えていた国、各々が今まで色んな言い訳をして逃げていた様に思います。その間に次々と私達の様な人の命にかかわる犠牲者が出ています。

 その責任はきわめて重いと思いませんか!

人は誰であっても、どんな理由があっても、
何の罪も無い人間の幸せを奪う権利などありません。
人間なら誰でもわかる当たり前の事です。
それをするものは犯罪ではないですか!
私達は、もうあの時の幸せを取り戻す事が出来ません。
せめて今の苦しみを和らげて、そしてこれから一人たりも私達と同じ苦しみを味わう人が出ない様に、
各関連企業の協力のもと国も最大限の力を出し、この問題を解決してください!

Copyright © 2004-2016 JAMARDVF. All rights reserved.