クボタショックから2年

古川和子

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救済金手続きの開始

 100名を越す多くの被害者を出したクボタ旧神崎工場周辺被害は、世界でも例を見ない程早急に救済金制度設立という解決を得た。

 もちろん、クボタという大企業だからこそ成しえた救済策であるかもしれないが、これはひとえに被害者が生の声を挙げたからに他ならない。

 「一人ひとりは弱い存在だが、一人ひとりがその気になった時にドラマが生まれる」という故田尻宗昭氏(かつて、多くの公害を摘発して公害Gメンと言われた)の言葉にあるように今回の事件はまさに大きなドラマが生まれた。

 そして救済金制度にそって、皆さん方の救済金支払い手続きが行われていった。

 まずは、闘病中の患者さんから優先された。救済金について交渉を行ったクボタの会議室には、一緒に闘ってきた患者とその家族の方達が集まった

 「お久しぶり!」・「お元気ですか?」という和やかな会話が交わされた。あの時には大変に厳しい顔をしていた方も今日はにこやかだ。その顔には、大きな仕事を成しえた充実感と自信が満ちていた。決してお金で健康や命は贖えないけれども、せめて生活の心配をしないで安心して治療に臨んでほしい…という私達の想いが通じた証だろうか。

 皆様方の都合を確認しながら日程の調整が行われて、手続きは複数のご家族単位で行われた。その様な中にBさんご夫妻もいた。Bさんはいつもと違ってスーツにネクタイ姿で参加されたのだ。その姿に私は非常に重いものを感じた。更にはBさんの奥様が新しい通帳を差し出されて「このお金は主人の命です」と語った。その言葉に対して私は「そうですね…」としか返事が出来なかった無念さは忘れることが出来ない。

 順次手続きが行われた中で、今まで気づかなかった事実に愕然とした。

 Cさんは、お母様が中皮腫で亡くなっていた。そして、尼崎市の検診制度に沿って検診をおこなったら、何とご兄弟3人が「要再検査」になり、現在は「要観察」状態だ。救済金の手続きが行なわれる時には、この様な新しい事実が判明する事も多々ある。

 手続きを行う時にクボタは必ず皆さん方からの生のご意見を拝聴し、その意見は即日社長の下に届く事になっているそうだ。そして、その意見の中で「不安」を訴える声も多い事に私は改めて事の重大さを感じた。

 「今回はこの様な形で救済金制度が出来たが、私達もアスベストを吸っているので何年か後に発病するかもしれないが、その時はどうなるのか?」という質問も多くあった。以前に泉南の被害者の一人から「隠れアスベスト」という言葉を聞いたことがある。確かに、発病はしないまでも同じ空気を吸ったことへの不安は拭い去れないものが有る。

 実際に、兄弟・親子での発病も確認されている。誰しも発病などしたくは無いが、万が一の発病時の事も確認しなければならない。

 その様な質問が出る度にクボタの担当部長は「会社が存続する限り、救済金規定は存続します」と答えた。今回の被害者限りではなく、クボタが石綿を使用していたとされる平成7年までの居住者に対しての救済を行なう、というものだ。勿論、その様な時期まで多くの方が発病することは考えたくも無い、というのが本心だ。

 しかし、最小限の被害にとどまって欲しい、もうこれ以上の被害者は出したくない…、という願いとは裏腹に、今でも多くの患者さんから連絡が入っている。「2年前のクボタのニュースを見ている時には自分とは関係のない事と思っていたのに」と語る方も多い。クボタ旧神崎工場のまん前にあった郵政の寮からは多くの被害者が出た。「あっ!○○さんだ!」とかつての知人が手続きの時に互いに判明する事もあった。

 先に書いたように決してお金では贖えないけれども、「今、何が出来うるか」いう事への最小限の対応として、クボタからの救済は重要であり、かつ今後も対象内容を検討して行かなければいけない。そしてその為に「救済金運営協議会」というものを設立しているのだ。救済金運営協議会は昨年、救済対象の距離の拡大などをクボタに要請した。その結果、当初は「原則1km以内」となっていたのだが、1.5kmまでの方を対象に救済金の支払いが行なわれるようになった。

 しかし距離の問題は今後も大きな課題を残している。ちなみに、車谷先生達の疫学調査では南方面には2kmをはるかに超して石綿が飛散したとみられる。

クボタの責任

 「クボタは救済金を支払っても責任を認めていない」と論じられる声もあるが本当にクボタは責任を認めていないのか?

 私は、クボタは充分に自社の責任を認めていると考えている。H17年12月25日の社長の謝罪は責任を認めたうえでの謝罪であったと思う。

 責任の無い相手に何故高額な救済金を支払う必要があるのか?

 名前こそ「救済金」となっているが実質的な補償である。その当時は国が「他で補償を得た者に対しては新法の対象にならない」と言っていた。これは「補償ではない」というのは詭弁だが、当時としてはやむを得ない、策であった。この救済金規定に合意した大きな理由の一つには闘病中の患者さんの体調も慮られた。

 もしも裁判に突入すれば多大な労力と時間が必要になる。今日一日を頑張って闘病している方々にとっては、かけがえの無い大事な時間を消費する事になる。そしてある程度の結果が得られたとしても、個別に考えたら現在の救済金規定と大差はないだろう、との判断だった。

 更に、クボタが原因であるという事は社会の誰もが認めている訳で「クボタが原因ではない」釈明をする事が困難だ。

 クボタは「旧神崎工場から石綿が飛散しなかったとは言い切れず、周辺住民の方々にご迷惑をお掛けした可能性は否定できないと考えております。」と自社のHPで書いている。更には「個別の因果関係にとらわれることなく」一定の要件を満たす人には救済金を支払ってきたが、本来はすっきりと『自社の責任です』と言って欲しいところだ。

 しかし現在、12月25日の社長の謝罪以後に発病された被害者に対してクボタは一人ひとりに真摯に頭を下げて謝罪を行なっている。その事に対して私は評価する。

 しかしクボタにはまだやらなければならない大きな問題が残されている。それは、当時の工場の状況と従業員で被害にあった方達の検証をすることだ。数十年も前のことは解からない、記録が残っていない、とクボタはいう。だからこそ、今やらなければいけない。今ならまだ間に合う。当時を知る人もまだ証言しうるだろう。月日が経過するにつれて証言者は減ってくるのだから、早急にクボタは私達と共に過去の検証をして欲しい。その様な事を行なってこそ「社会的な責任」を果たす事になる。

クボタショックの残したものは

 クボタショック以後のこの2年間で最も大きな事は、石綿救済法が制定された事は勿論だが、今までは潜在的にしか語られていなかった各地の環境被害者が声を挙げたことだろう。日本で最初の中皮腫患者を出したといわれている大阪府泉南地方。古くからのアスベスト使用により多くの被害者を出している。それでも、このクボタショックが起こるまでは社会的にも多くは語られてはいなかった。「クボタショックが起こって初めて、私達も同じだ!と声を出す事が出来ました」とは泉南で石綿肺を患い、現在国に対して賠償訴訟を起こしている母娘だ。岐阜県羽島市にあるニチアス羽島工場近隣でも多くの被害者をだしていた。大阪府河内長野市でも然り。H18年の1月、私達患者と家族の会は石綿対策全国連と共に「アスベスト対策基本法」の制定を求めて要請行動やデモ行進を行なった。そしてそれから一年経過したH19年3月には、全国各地からの環境公害被害の住民達が集まってきた。ここに、アスベスト被害は労働災害だけに留まらない公害史上最悪の「複合型ストック公害」となった。

 当初から私は「クボタに始まって、クボタに終わってはいけない」と訴えてきたが危惧は要らなかった。残念ながら、私が予測した以上に被害は深く深刻であった。

 この2年間でアスベスト問題は深く、広く広がっている。アスベスト問題は始まったばかりだ。

…続く>>

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