クボタショックから2年

古川和子

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交渉委員…3回目のXデー                    

 クボタの社長が謝罪をしたことは大きく報じられた。そして私も大きな感動を覚えた。患者と家族の会の皆さんの前で大企業の社長が、真摯に謝意を表した。その丁度一年前のH16年12月25日、私はドキュメンタリー番組制作会社のディレクター野崎朋未さんと共に前田恵子さんからクボタ周辺の状況を聞いたのだ。その時から全てが始まった、といっても過言ではない。それまでは「クボタが原因だ」と考えていたが、前田さんの話を聞いて「クボタに間違いない」との確信を得た。それから一年経って、大きな展開となった。この日、前田さんは体調が悪くて大変に苦しい中を頑張って参加していた。前のテーブルに座っていた私からは前田さんの苦しそうな表情が見て取れた。途中からは顔を上げることが出来なくて、テーブルにうつ伏せになっている。「大丈夫かな…、万が一の時には退席の介助をしなくては」と考えていたが、最後まで前田さんは頑張った。後で聞くと「しんどかったが死んでもこの会場から出るものか、と決心していた」そうだ。そして、その後の記者会見まで参加してくれたのには驚いた。

 この様に、患者さんにとっては命を賭けてこの日を迎えていたのだ。しかし補償交渉は今からだ。どの様な形で、何時決まるのか? 社長の謝罪はひとつのハードルを越えたとはいえ、まだ大きな課題を残していた。

 クボタとの補償交渉を始めるに当って、被害者の方達の中から7名の代表を選出した。全員の方がクボタとの交渉に当たる事は困難だから、闘病中の患者さんをはじめ、親・兄弟・姉妹・配偶者を失ったそれぞれの立場の方から7名の代表を選んだのだ。そして飯田・片岡・古川と共に10名で交渉を開始した。場所は、クボタ阪神事務所の会議室だ。クボタからは、最初から対応に当っていた伊藤部長はじめ数名の部長が出席した。

 クボタへの補償要求は、尼崎支部集会において皆さん方の同意を得て決められていた。

 交渉初日、緊迫した空気の中で交渉が行なわれた。交渉が始まり彼らが述べた想いは、永い年月の間それぞれが抱えてきた苦しみが一挙に弾き出されたようであった。中でも、闘病中の患者さんの言葉は大変に重いものがある。自身の命の重みを補償に置き換える交渉をしているのだ。自分が逝った後に遺される家族への想いを切々と語った。その後数回にわたる交渉を経て出した「救済金制度案」を、4月15日の患者と家族の会で諮り合意に達した。

 そして4月17日、クボタ・患者と家族の会と双方で記者会見を行い発表した。日本で初めて、裁判をしないで合意を得た公害事件となった。

繋がってゆくXデー

 この4年前のH14年4月17日、私は初めて関東在住の遺族の方と出会った。夫を亡くして以来、お互いに一人ぼっちだったけれども初めて「同じ境遇の仲間」に出会えたのだ。そしてそれが患者と家族の会の原点になった。一人ひとりの人間同士が繋がってゆき、大きな輪になり、それが更に大きな流れになってアスベスト公害を社会に問題提起することとなった。

 前田恵子さんと二回目に会った時に「今までは一人ぼっちで闘病していたけれども、もう一人じゃないんだ」と喜んでくれた。そして当初から「これは公害です」と訴えていた前田恵子さんは、新法制定日のH18年3月27日に亡くなった。それは、あたかも石綿新法の制定を見届けたかのようだった。

 そして、この日は私にとっても生涯忘れる事のできない日となっていたのだ。私の夫はその5年前のH13年3月28日に死亡した。永年、関西電力の火力発電所の下請けとして勤務して、アスベスト使用の全盛期に真っ黒になって働いて、肺がんを発症したのだ。夫が元気だった頃の口癖が「65歳まで頑張って働くから、それ以後はのんびりと暮らそう」だった。その夫は還暦を迎えた翌日に亡くなり、5年後以降の人生設計はこの時に幕を閉じてしまった。

 死出の旅立ちの前に迎えた還暦。病室に飾られた還暦祝いの「赤いチャンチャコ」をうつろな眼で見ていた。夫の死後、発病以来書き続けた私の日記には「命を助ける事も出来なかった無念さ…」と書いてある。

 そして夫の死によりこの活動を始めた私にとっては、夫が目指していた65歳の誕生日であるH18年3月27日に石綿救済法が制定された事はただの偶然では無いような気がしている。当時「石綿救済法制定」が各新聞で報道されるたびに、新法制定というひとつの大きな節目を迎えたけれども「夫が生きていれば私は別の人生を歩んでいただろう…」と複雑な胸中だった。

 この様に、様々な人との出会いによって多くの問題が提起され、失った命は次に続く人々の救済に繋がってゆく事は「命のリレー」であると私は信じている。

…続く>>

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