阪神淡路大震災の震災復興作業でのアスベストばく露と中皮腫の発症(患者手記)
公開日:2026年8月8日
執筆:ひょうご支部 登日廣幸
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
こんにちは。兵庫県の淡路島に住んでいる登日廣幸(とび・ひろゆき)と申します。現在、55歳になります。
胸膜炎から悪性胸膜中皮腫に
体の異変に気づいたのは、2024の春頃のことでした。最初は左の背中や肋骨付近に痛みを感じたのですが、以前わずらったことのある憩室炎の再発か、あるいはただの痛みだろうと軽く考えていました。まさか自分が大病をわずらっているとは夢にも思わず、病院で処方された抗生物質を飲んで様子を見ていました。しかし、日を追うごとに痛みは増していくばかりでした。
8月になって再び病院で検査を受けたところ、左肺に水が溜まっていることがわかり、「胸膜炎」と診断されました。抗生剤で治療をしたものの、完全に良くなることはなく、同年12月に同じ場所の痛みが再燃しました。そして、検査の結果、医師から告げられたのは「悪性胸膜中皮腫の疑い」という、これまで私の人生で関わりのなかった言葉でした。
「中皮腫」という言葉自体はニュースなどで聞いたことがありましたが、具体的にどのような病気かは全く知りませんでした。今の時代、インターネットで調べればすぐに情報が出てきます。検索して私の目に最初に飛び込んできたのは、「5年生存率が非常に低い」「治療が難しい希少がんである」といった、あまりにもシビアで絶望的な情報ばかりでした。「ああ、自分の人生はここでピリオドを打つのかな」と、目の前が真っ暗になったことを今でも鮮明に覚えています。
その後、「中皮腫サポートキャラバン隊」の西山さんに相談するご縁をいただきました。西山さんからのアドバイスもあり、より専門的でしっかりとした治療を受けられる場所として、兵庫医科大学病院をご紹介いただきました。
兵庫医科大学病院での治療を決断
時期を同じくして、2025年2月にようやく「左悪性胸膜中皮腫」の確定診断が出ました。兵庫医大で最初に診ていただいた竹ヶ原先生は、私の不安を吹き飛ばすように「大丈夫、大丈夫だよ!」と力強くおっしゃってくれました。あまりの明るさに「そんなに軽くていいんかな?」と驚きもしましたが、これまでの豊富な症例と経験に裏打ちされた自信を感じ、その日のうちにカンファレンスにかけ、入院と治療の方針を迅速に決めてくださった対応に、大変心強く思いました。
娘が西宮に住んでいて何かと都合が良かったこともあり、私は医師を信じて兵庫医大での治療を決断しました。 不幸中の幸いと言うべきか、私の場合はステージ1という比較的早期の段階で見つかりました。そのため、手術で病巣を取り除く方針がすぐに立てられました。
治療はまず、術前の抗がん剤治療から始まりました。2月末からアリムタとシスプラチンの投与を受けましたが、1回目も2回目も発熱などの副作用に見舞われ、退院が延びてしまうこともありました。
10時間の手術と抗がん剤治療
そして6月12日、左胸膜を剥がす大手術(胸膜切除・肺剥皮術)に臨みました。約10時間にも及ぶ長い手術でした。手術台に乗る時は、まさに「まな板の上の鯉」の心境で、治るためのステップなのだからと全てを医師に委ねました。
術後はICU(集中治療室)に3日間入り、その後は一般病棟に移りました。手術の翌々日からは歩行器を使ってのリハビリが始まりましたが、これが本当に過酷でした。息が続かないのはもちろんのこと、手術中は左腕をずっと上げたままの体勢で固定されていたため、術後には肩や腕の筋肉がひどくこわばり、体を動かすたびに激痛が走りました。
8月からは術後の抗がん剤治療が再開され、3週間ごとに3クールの治療を受けました。術前の抗がん剤ではそれほど感じなかった副作用ですが、術後の抗がん剤ではひどい味覚障害に悩まされました。全くと言っていいほど食べることができなくなり、食べないことによる極度の倦怠感で、体が鉛のように重く、動かす気力さえ奪われていきました。
残り続ける重い後遺症
10月に一連の治療は一区切りとなり、現在は藤本大智先生のもとで経過観察を続けていますが、私の体には今も重い後遺症が残っています。
一つは、生検の傷口周辺の痛みと感覚麻痺です。生検手術によって神経が切断されたため、左側の胸からお腹にかけての皮膚は感覚がなく、外から触られても「剣道の防具をつけている」ような、分厚い壁があるような状態です。それなのに、体の奥底からは神経がビリビリとしびれるような強い痛みが常に湧き上がってきます。また、左側の腹筋が機能しなくなったため、お腹に力が入らず、便秘気味にもなっています。痛み止めを飲んでいますが劇的な効果はなく、今後ペインクリニックへの相談も検討しているところです。
もう一つは、呼吸機能の低下です。私は元々スポーツも得意で体力には自信がある方だったのですが、今は少し長く話すだけでも息切れがしてしまいます。階段を上がるのも、3階まで行くと途中で休憩しなければ呼吸が追いつきません。私は父の会社で働いていましたが、病気と体力の低下により、以前のように動くことができず休業を余儀なくされています。私が無理をして復帰しても、周りと同じ動きができなければ逆に会社の足を引っ張ってしまうというジレンマがあります。
これらに加えて、メンタル面の不安もつきまといます。仕事ができないことによる経済的な不安、身体の痛みがいつまで続くのかという恐怖、そして何より、「今は左肺だけだが、いつか右肺にも同じように中皮腫が発症するのではないか」という再発への恐怖です。夜眠れなくなったり、気を紛らわせるためにお酒を飲んでしまったりと、心が晴れない日々が続くこともありました。
阪神淡路大震災と中皮腫の発症
私がなぜ中皮腫になったのか。これまでの人生を振り返った時、当初は全く心当たりがありませんでした。私は南あわじ市で生まれ育ち、実家周りは住宅地や田畑ばかりで、アスベストを扱うような工場もありません。タバコも習慣的には吸っていません。
しかし、キャラバン隊の皆さんの手厚いサポートを受けながら過去の職歴を一つ一つ丁寧に掘り起こしていく中で、思い当たる時期がありました。1997年頃のことでした。当時は阪神・淡路大震災から2年ほどが経過していましたが、神戸の街にはまだ大きな被害の爪痕が残っていました。私は最初、アルバイトとして三宮のホテルなどのビル解体作業現場に入りました。当時はアスベストの危険性など知る由もなく、防じんマスクもつけずに、粉じんが舞う中で作業をしていました。
その後、1997年11月にダイニチ・コンストラクション株式会社という建設会社に就職し、土木工事の現場監督を務めました。そこでは、灘区の高羽川復旧工事に伴うビルの解体作業や、西区櫨谷の残土処理処分場での作業を担当しました。震災の瓦礫や残土が次々とダンプカーで運ばれてくるのを重機で整地する作業です。解体現場や残土の中には、当然のようにアスベストが含まれていたはずです。
それから約27年という長い長い潜伏期間を経て、私の体内で静かに進行していた中皮腫が牙をむきました。
アスベスト被害に目を向けてもらいたい
震災直後ではなく、数年が経過した後の復旧・復興作業での被ばくによる労災認定は、全国でもはじめてのケースだそうです。しかし、客観的な記録や証言を集め、申請を行った結果、無事に労災として認められることになりました。書類作成などを手伝ってくださった皆様には、感謝の念に堪えません。
今回、私は新聞やテレビなどの取材に実名と顔を出して応じました。誤解を恐れずに申し上げますと、私自身は自分のことを単なる「被害者」だとは思っていません。誰かのせいでこうなったと恨み言を言っても、病気が治るわけではありませんから、できるだけ前向きに、しゃあないと割り切るように努力しています。
しかし、世の中にはアスベストによって苦しんでいる方が本当にたくさんおられますし、これから発症する可能性のある方も数え切れないほどいらっしゃいます。特に、阪神・淡路大震災の復旧・復興に携わった多くの方々が、私と同じように危険な粉じんを吸い込んだ可能性があります。だからこそ、私のような事例があること、アスベストという物質の本当の恐ろしさを、社会にもっと知ってもらう必要があると考えました。情報を発信し、社会の目を向けてもらうことは、私の「使命」だと感じています。
また、現在同じ中皮腫で闘病されている方々には、「どうか悲観的にならないでほしい」とお伝えしたいです。病気そのものを完全に治すことは難しいかもしれません。しかし、キャラバン隊のような同じ境遇の仲間と繋がり、正しい情報を得て、利用できる制度を活用することで、心は必ず救われます。一人で抱え込まず、声を上げ、助け合っていくことが何より大切です。
私は今、まずはこの身体の痛みとうまく付き合いながら、少しずつ体力を戻し、社会復帰を果たすことを次のステップの目標に掲げています。病気になったことで失ったものも大きいですが、気づけたことや出会えた人々もたくさんいます。これからも前を向き、一日一日を大切に生きていきたいと思います。 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。
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