腹膜中皮腫に対する外科治療の現状と展望(滋賀県立総合病院外科科長 山中健也)
公開日:2026年8月5日
執筆:2026年3月30日
執筆:滋賀県立総合病院外科科長 山中健也
はじめに
滋賀県立総合病院外科の山中健也です。私は主に肝胆膵外科を専門としておりますが、これまでに腹膜播種に対する外科的治療にも積極的に取り組んでまいりました。当院では2024年1月より腹膜切除術(CRS)を開始し、さらに本年1月からは、腹膜偽粘液腫および腹膜中皮腫の患者さんに対して腹腔内温熱化学療法(HIPEC)を行える体制を整えました。腹膜中皮腫は非常に稀な疾患であり、有効な外科的治療が存在するにもかかわらず、どこで治療を受けられるのか悩まれている患者さんが多くいらっしゃいます。
本稿では、腹膜中皮腫の疫学から診断、外科的治療(CRS+HIPEC)の実際、そして日本における診療の現状と課題について、私の経験と私見を交えながら詳しくお話ししたいと思います。
腹膜中皮腫の現状
日本では1970年代から1990年代にかけて、中皮腫の患者数は男女ともに約10倍へと劇的に増加しました。中皮腫の発症には過去のアスベスト曝露が深く関わっており、曝露から発症までに30年から40年程度かかることが多いとされています。そのため、日本では2030年頃に発症のピークを迎えるのではないかと推測されています。中皮腫全体のうち、胸膜中皮腫が約85〜90%を占めるのに対し、腹膜中皮腫は約10〜15%と少数です。
治療法別の生存率を比較すると、腹膜中皮腫・胸膜中皮腫ともに、手術を受けた方、抗がん剤治療を受けた方、無治療の方の順に予後が良いことが示されており、特に腹膜中皮腫において手術による生存期間の延長効果が大きいことが分かっています。
診断の難しさと適切なアプローチ
腹膜中皮腫は、腹部膨満感、腹痛、食欲不振といった非特異的な症状で発見されることが多く、CTやPETなどの画像診断でも特徴的な所見に乏しいため、確定診断に至るまでに時間がかかることが少なくありません。特に女性の場合、画像所見だけでは卵巣癌の腹膜播種と誤診されるケースも散見されます。そのため、確定診断には腹腔鏡を用いた生検が不可欠となります。通常の顕微鏡検査だけでは診断が難しいため、CalretininやBAP1といった特殊な免疫染色が非常に役立ちます。病理組織学的には、上皮様、肉腫様、ニ相性の3つに分類されますが、この組織型の診断は今後の治療方針を決定する上で極めて重要です。幸いなことに、腹膜中皮腫の80%以上は、比較的予後が良いとされる上皮様に分類されます。
外科的治療:CRS+HIPECのメカニズムと目的
腹膜中皮腫に対する外科的治療の根幹をなすのが、CRS(Cytoreductive Surgery:減量手術/腹膜切除術)とHIPEC(Hyperthermic Intraperitoneal Chemotherapy:腹腔内温熱化学療法)を組み合わせた治療です。CRSは1995年にSugarbaker先生によって提唱された術式で、腹腔内に広がる播種病変を系統的に完全切除することを目指します。病変の広がりに応じて、大網、横隔膜下面の腹膜、小網、骨盤腹膜、あるいは直腸や胃などの臓器を合併切除することもあります。提唱された当初は出血や合併症のリスクが高い大手術でしたが、現在では解剖学的な理解と手術手技の向上により術式が細かく標準化され、より安全に施行できるようになっています。
手術の適応や切除の程度を評価するために、PCI(Peritoneal Cancer Index:腹膜播種指数)という指標を用います。腹膜中皮腫においてはPCIが17〜20以下が一つの目安となりますが、それを超えていても腫瘍の性質によっては切除可能な場合があります。そして、手術によって目に見える腫瘍が全く残っていない状態(CC-0)または残存腫瘍の最大径が2.5mm以下(CC-1)となった状態を「完全切除」と呼び、これを達成することが最大の目標となります。 完全切除が達成された後に行うのがHIPECです。腹腔内を約42℃に加温しながらシスプラチンなどの抗がん剤を循環させることで、抗がん剤の効果が高まり、組織の表面から深さ2.5mmまで薬が浸透するとされています。これにより、肉眼では見えない微小な残存腫瘍を根絶することが期待できます。
海外における良好な治療成績とガイドラインの位置づけ
CRS+HIPECの治療成績は、従来の治療法を大きく上回るものです。PSOGI(国際腹膜表面腫瘍学会)の8施設401例をまとめた大規模な多施設解析では、完全切除率は46%、手術関連死亡率はわずか2%に抑えられつつ、生存期間中央値は53ヶ月、5年生存率は47%に達しました。予後良好因子としては、上皮型であること、リンパ節転移がないこと、完全切除が達成されたこと、そしてHIPECを併用したことが挙げられています。
抗がん剤単独治療の生存期間中央値が10〜16ヶ月、近年の免疫チェックポイント阻害薬を用いた全身薬物療法でも17〜21ヶ月であることを考慮すれば、CRS+HIPECがいかに優れた治療であるかがお分かりいただけるでしょう。国際的に広く参照されているアメリカのNCCNガイドラインでも、完全切除可能かつ低リスク(上皮様)の腹膜中皮腫に対しては、CRS+HIPECが第一選択の標準治療として明確に推奨されています。
さらに、切除の程度が予後に直結することも明らかになっています。アメリカのWake Forest大学からの報告では、完全切除(CC-0/1)が達成された患者の生存期間中央値は127ヶ月(約10年)にも及びました。また、術後1年、2年と無事に経過するにつれて、生存期間の予測値がさらに延びることも示されており、順調に経過した方には長期生存の希望が見えてきます。従来は手術適応外とされることが多かった二相性であっても、完全切除(CC-0)を達成できれば、5年生存率が50%を超えるというフランスのグループからの報告もあり、適応の拡大が期待されています。
術前・術後化学療法の功罪とQOLに関する誤解
手術前後の薬物療法の位置づけについては、慎重な判断が求められます。イタリアのミラノ大学からの報告では、術前に抗がん剤治療を行った症例のほうが、行わなかった症例よりも術後の生存期間が短いという結果が示されました。現時点では、「切除可能な腹膜中皮腫であれば、まず手術(CRS+HIPEC)を優先すべきである」という考え方が基本となります。手術が不可能な状況である場合にのみ、術前化学療法や免疫療法を行い、腫瘍が縮小して切除可能となれば手術に踏み切る、というアプローチが適切です。
また、患者さんや一部の医師の中には、「広範囲の腹膜切除を行うとQOL(生活の質)が著しく低下するのではないか」と懸念される方が少なくありません。しかし、これは大きな誤解です。実際には、腹膜中皮腫が進行すると大量の腹水が貯留し、腸管が圧迫されて食事が全く取れなくなり、極めて苦しい状態に陥ります。私が以前勤務していた尼崎総合医療センターで経験した症例でも、強い腹部膨満により食事が取れなかった患者さんが、腹膜全切除術を受けることで腹水がコントロールされ、食事が取れるようになりました。さらに、術後9ヶ月の時点では筋肉量が客観的に増加していることも確認できました。手術によってQOLが下がるのではなく、むしろ手術によってQOLが劇的に改善する患者さんが多いのです。
日本における腹膜中皮腫診療の現状と深刻な課題
これほどまでに有効な治療法であるCRS+HIPECですが、残念ながら日本における普及は欧米に比べて著しく遅れています。 日本の『中皮腫取扱い規約』には、「根治的治療法は存在せず、標準的治療法も確立していない」「CRS/HIPECは重篤な合併症や死亡に至る可能性もある」と記載されており、極めて消極的な姿勢がうかがえます。実際、日本の消化器外科学会雑誌においても、びまん性腹膜中皮腫に対するCRS+HIPECのまとまった報告はほとんどなく、内科主導で「手術不適応、化学療法のみ」とされ、予後不良であると結論づけられるケースが後を絶ちません。
一方で、近年は産婦人科が卵巣癌の鑑別として手術を行うケースが増加しており、本来、消化器外科が主導すべき腹膜播種の治療において、外科医の関心が低下していることが危惧されます。さらに深刻なのは、腫瘍内科の先生方の中に「腸管の表面に腫瘍が散らばっている(播種している)から手術は不可能だ」と誤解されている方が多いことです。腹膜中皮腫において腸管膜に腫瘍が存在するのは当然のことであり、それを特殊な技術で切除・剥離していくのがCRSなのです。疾患の特性や手術手技に対する理解不足が、患者さんから手術の機会を奪ってしまっています。
現在、世界では51カ国でCRS/HIPECに関するガイドラインが存在し、腹膜中皮腫に対するCRS+HIPECが強く推奨されています。世界中の約430施設でこの治療が行われている中、日本は最も実施施設が少ない国の一つです。この原因は、日本の外科医の手術技術が劣っているからではありません。腹膜播種を横断的に扱う診療体制が未整備であることや、HIPECが保険適用外であるといった社会・経済的な制度の壁が大きいです。現在、当院では病院側の理解を得て、HIPECにかかる費用を病院負担とし、患者さんには追加の負担なしで治療を提供していますが、本来であれば国レベルで解決すべき課題です。
今後の展望と患者さんへのメッセージ
腹膜中皮腫は、決して「手術ができない終末期疾患」と見なされるべきものではありません。適切な患者選択のもとで、経験豊富な専門医がCRS+HIPECを施行することにより、従来では考えられなかったような長期生存、さらには治癒の可能性が開けています。今後は、免疫チェックポイント阻害薬(オプジーボなど)を含む全身薬物療法の進歩とも歩調を合わせつつ、治療全体におけるCRS+HIPECの適応を改めて再評価していく必要があります。また、全国の少数精鋭の専門施設が連携し、主治医の先生方とのコミュニケーションを深め、患者さんが適切なタイミングで専門的治療にアクセスできる標準化された紹介体制や全国レジストリを構築していくことが、私たちに課せられた使命だと考えています。もし腹膜中皮腫と診断され、治療法に悩まれている患者さんがいらっしゃいましたら、内科的に手術ができないと言われた場合でも、諦めることなく、ぜひ一度専門施設(セカンドオピニオンや外来診察)にご相談いただきたいと思います。私たちは、少しでも多くの患者さんに最善の治療を届けられるよう、これからも尽力してまいります。