腹膜中皮腫の発症と腫瘍の切除からの5年(患者手記)
公開日:2026年8月5日
執筆:四国支部 瀬口由布子
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
私の名前は瀬口由布子と申します。現在は54歳で、この3月で55歳になります。私は2021年の3月に、腹膜中皮腫(二相性)という診断を受けました。発症から丸5年が経過した現在、私は大きな治療を行わない無治療という選択をし、経過観察を続けています。普段は夫の転勤に伴い、1年半ほど前から愛媛県の今治市に暮らしておりますが、私の地元は同じ愛媛県の松山市です。
まさか自分が中皮腫に
私の中皮腫が発覚したのは、2020年の6月か7月頃のことでした。最初はちょっと脇腹が痛いなと感じる程度で、近くのお医者さんを受診しました。しかしそこでは原因が分からず、もう少し大きな病院を紹介していただきCTを撮りました。すると、生検ができないような奥まった場所に影が見えると言われました。さらに大きな千葉大病院を紹介していただいたのですが、そこでもすぐには何かわからず、しばらく様子を見ることになりました。
ところがその年の12月、少しだけ腫瘍が大きくなっていると言われ、「手術をして取りますか?」と提案されました。その時点では、それが中皮腫だとは全くわかっておらず、先生からも「癌のようなものではないでしょう。血腫か何かではないか」と言われていたのです。私自身、それまで大きな手術など経験したことがなく、正直なところ手術をすること自体がとても怖かったです。それでも、自分の体の中に何かわからない得体の知れないものがあるのは気持ちが悪いと思い、2021年の2月に手術をして腫瘍を取り除いてもらいました。
そして3月、摘出した組織を病理検査に出した結果、確定診断が下りました。病名は「中皮腫」でした。「がんではないでしょう」と言われて安心していたのに、『まさか自分がそんな病気になるなんて』と、言葉にできないほどのショックを受けました。そもそも「中皮腫」という言葉すら知らなかった私は、すぐにインターネットで調べてみました。しかし、そこにはびっくりするようなこと、私にとって絶望しか感じられないようなことしか書かれていませんでした。あの時の辛さは今でも忘れられません。毎日毎日、ただ泣いてばかりいました。仕事中であっても急に涙が止まらなくなったり、心がふさぎ込んでしまったりしました。友人たちから「大丈夫?」と声をかけられても、その頃の私はひねくれてしまっていて、「私だけがどうしてこんな目に」という思いから、誰の言葉も聞きたくないと心を閉ざしていました。治療もできないと言われ、この先自分はどうなってしまうのだろうという不安に押しつぶされそうだったのです。
治療選択のためのセカンドオピニオン
主治医である千葉大の先生からは、「私自身、中皮腫の患者さんに当たったのが初めてなので、ぜひセカンドオピニオンに行ってください」と勧められました。ここから、私の治療法探しの旅が始まりました。
この時、私を力強く引っ張り、支えてくれたのは妹でした。京都に住んでいる妹は、私が病気になってからというもの、信じられないほどの行動力で動いてくれました。中皮腫サポートキャラバン隊の右田孝雄さんに連絡を取り、そこから静岡の米村豊先生を紹介していただいたのも妹です。
私たちはまず、2021年の6月16日にがん研有明病院へ行きました。しかしそこでは、「CT画像に映っている目に見える腫瘍がないため、治療はできないし、抗がん剤をやっても効果がわからない」と、今の時点では何もできないと言われてしまいました。その後、1ヶ月以内に国立がん研究センター中央病院にも行きましたが、全く同じ見解でした。他の病院で改めて病理検査の組織を調べてもらっても、やはり中皮腫で間違いないという結果でした。
最後に、妹の紹介で静岡の米村先生のところへ足を運びました。すると先生からは、「すぐにお腹にポートを埋め込んで、抗がん剤を始めましょう」と言われました。お腹を開けて洗い流す「HIPEC」という大きな手術です。しかし、その話を千葉大の先生に持ち帰ると、ひどく反対されました。私自身も大きな手術をすることに強い恐怖を感じていましたし、静岡まで通院し続けることの大変さも想像できました。そして何より、目に見えない腫瘍のためにそこまでのリスクを負うべきか悩み、最終的に私は、大きな手術もHIPECもせず、千葉大の先生のもとで無治療のまま経過観察を続けるという決断を下しました。
中皮腫サポートキャラバン隊との出会いを通じて
この選択をする際、妹は「あなたが千葉大の先生に診てもらうと決めたなら、それでいいんじゃない」と、私の意思を全面的に尊重してくれました。わざわざ一緒に千葉大まで来て、先生の話を一緒に聞いてくれたのです。妹はたくさんの情報を調べ、診察にも付き添ってくれましたが、「こうするべきだ」と私に意見を押し付けることは1度もありませんでした。私が自分で納得して責任を持てるよう、見守るような距離感で接してくれたことに心から感謝しています。私に「大丈夫」と声をかけ続けてくれた妹に、時にはイラっとしてしまうこともありましたが、妹は嫌な顔1つせず、Zoomサロンにも一緒に参加してくれるなど、本当に大きな存在でした。夫も同様に、私の意見を静かに聞いてくれ、「こうすればいい」と口出しせずに寄り添ってくれました。
経過観察が始まり、最初は3ヶ月に1回のペースでCT検査を受けていました。毎回検査のたびに、先生が「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と声をかけてくださったおかげで、私は少しずつ安心感を取り戻していくことができました。時間の経過とともに、次第に病気のことを過剰に考えないようになり、心穏やかに過ごせる時間が増えていきました。今では診察も半年に1回になっています。
また、中皮腫サポートキャラバン隊のZoomサロンを通じて、同じ病気の方々と交流できたことも私の心を救ってくれました。かなさんという同い年の患者さんと出会えたことで「私1人じゃないんだ」と実感でき、たくさんの勇気と情報をもらいました。てんちゃんという方とは、「お酒って飲んでいいんですか?」なんて他愛のない会話もできて、本当に嬉しかったのを覚えています。
自分がどうして中皮腫になったのか、その原因であるアスベストの曝露についても思い当たることがあります。昔、銀行に勤めていた時期があるのですが、支店の金庫の中、その2階の奥の天井にアスベストの吹き付けがあった記憶があるのです。おそらく、そこで吸い込んでしまったのではないかと考えています。
希望を捨てずに、乗り越えてほしい
発症から5年が経った今、幸いにも腫瘍が大きくなることもなく、私は自分の人生の楽しみを完全に取り戻しています。友人たちとホテルに集まって、ウルフギャングのステーキを食べたり、クリスマスパーティーを毎年楽しんだりしています。夫は私の体を気遣い、野菜やタンパク質をたっぷり使った健康的な料理を作ってくれるようになりました。以前はコンビニのジャンキーな食事で済ませることもありましたが、今では食生活がすっかり変わり、それでも大好きなお酒は毎日楽しく飲んでいます。
千葉から今治に引っ越したため地元に知り合いは少ないですが、千葉での診察の際には、会社の先輩や友人が自宅に2〜3週間も泊めてくれます。最近の1番の楽しみは、海が好きな友人に教わって始めたシーグラス拾いです。千葉の一宮まで足を運び、可愛いシーグラスをたくさん拾ってきました。波に揉まれて角が取れたガラス片には、時には100年前のものがあったり、外国から流れ着いたりと、歴史とロマンが詰まっていて、すっかり魅了されています。他にもホットヨガの教室に通ったりと、毎日を心から楽しんでいます。
最後に、もし今、中皮腫と診断されて間もない方がいらっしゃったら、私からお伝えしたいことがあります。診断直後にネットで病気のことを調べると、私自身がそうであったように、絶望しかないように感じてしまうかもしれません。とても悲しくて、怖くてたまらないと思います。でも、こうして5年が経っても、私は元気で、仕事を続けながら、好きな遊びにも行き、人生を満喫しています。今はいろんな治療法もあると思います。だからこそ、決して希望を捨てず、頑張ってこの壁を乗り越えてほしいと心から願っています。
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