アスベスト関連疾患に関連する労災保険制度に関して「労災保険制度の在り方に関する研究会」へ要望書を提出
公開日:2024年2月27日
本日、厚生労働大臣等に対して下記の要望書を送付しました。実際に給付の受給者となる患者・家族の実態を踏まえて議論いただくよう強く希望します。
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2025年2月27日
厚生労働大臣 福岡資麿 殿
労災保険制度の在り方に関する研究会
委員各位 殿
中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会
会長 小菅千恵子
アスベスト関連疾患に関連する労災保険制度に関して
「労災保険制度の在り方に関する研究会」への要望
関係者の皆様におかれましては、労災保険制度の在り方に関して議論頂いておりますことを感謝申し上げます。
2024年12月から3回にわたって研究会が開催されていますが、これまでの議論においては不足があると思われる点がありました。私たちは中皮腫や肺がんなどのアスベスト疾患の患者・家族で構成する団体ですので、日常的に当事者が抱える問題について情報を把握し、都度、厚生労働省に改善を求めています。
以下に、現時点で私どもが懸念する事項について述べさせて頂きます。
1 当事者不在の議論
私たちに関連するがん治療や障がい者の分野においては、当事者参加が基本であり、各種学会のガイドライン作成や国の委員会においても関係者が委員として参画しています。国委員会では委員として参画しない場合でも、ヒアリングの機会が設けられるなど不十分ながら当事者の意見が議論に反映されています。
しかしながら厚生労働省の旧労働省部門の各種委員会等は当事者参加に全く否定的で、旧厚生省部門とはその対応が180度ことなります。本研究会も、当事者参加が全く担保されていないのはその象徴です。これは形式的にパブリックコメントを実施すればよいというものでもありません。私たちの意見をヒアリングで聞いてください。
この点、努力しようとする意思も事務局からみられないことは恥ずかしいことです。昨今の高額療養費問題のような当事者視点が抜け落ちた議論は必ず欠陥ができます。旧厚生部門の取り組みを参考に具体的な方策を早急に検討してください。
2 休業補償の時効と傷病手当金
2-1 休業補償の時効を考える上での当事者の実態
消滅時効の議論において、これまでの議論では時効の延長というよりも、「周知」に重きをおくべきとの意見に傾いていると感じます。議論の経過をみるかぎり、このような意見は、当事者のおかれている実情をまったく理解していない、机上の空論です。また、これまでの厚生労働省がアスベスト健康被害者を含む労災被害者の実態を認識していながら、改善をしない口実にしてきた「言い訳」です。
誤解を恐れずに申し上げれば、アスベスト健康被害においては、周知事業では多くの労災被害者が救われませんし、救われていません。これは、行政の周知方法に問題があるというよりも、周知には限界があるということです。
アスベスト疾患の多くは職業性疾患であり、国際的な議論でも8割程度の被害者が職業上の原因にもとづくとされています。一方で、職業上の被災者には建設業における自営業者等も含まれますのでアスベスト関連疾患の8割の方が労災の対象になるわけではありません。このような事業も踏まえ、労災保険の対象とならない被災者の救済を目的につくられた石綿健康被害救済制度(以下、救済制度)は、制度設計時にすべての被害者の労災と救済制度の受給割合を1:1と想定しました(例外的に、一部は公務災害等の被害者がいます)。理論上、アスベスト健康被害者は何らかの制度の網によって補償・救済されます。しかし実際上、これまでアスベスト関連疾患の死亡者情報をもとに、各種統計にもとづく分析では、労災(公務災害等含む)の受給者が全被害者の3割程度であり、救済制度の受給者も同程度です。すなわち、約3割の被害者は労災等の可能性があるにもかかわらず請求をしていない実態があります。ここで言う、「請求をしていない」方の実態の多くは、そもそもの請求権を認識していなかったり、労災保険制度に対する誤解(会社廃業していたり、同僚がいない場合は労災認定は難しい)に起因するもので、意識的に放棄している方はほとんどいません。また、救済制度の認定者の中にも、決定後、数年後に労災の可能性を認識して請求をする方もいます。
アスベスト疾患は、何十年も前の石綿ばく露に起因するものなので、一般の労災事故と異なり発症(発病)とこれまでの業務上の出来事がただちに結びつかないことも珍しくありません。そもそも、アスベスト疾患の多くは重篤ですから、本人も家族も病気の診断自体に大変な精神的な負担を強いられ、労災のことを考えるのは二の次、三の次という方も少なくありません。そして、多くの方が1〜2年で他界されますが、ご遺族の中にはその現実を受け止めるだけで精一杯という方もいます。
研究会の議論はこのような現実を踏まえておらず、厚労省事務局が都合よく提示した資料だけに基づいて専門家の委員のみなさまが「それらしく」議論しているようにしか思えません。「単に時効を延ばせば良い」わけではありませんが、アスベスト健康被害者の多くの現実は周知などの小手先で時効を防止することは難しく、時効の延長によって権利を可能な限り長くすることが必須です。
アスベスト健康被害においては石綿健康被害救済制度において労災の遺族年金ないしは遺族一時金が時効となった遺族を救済するために「時効救済制度」があります。直近では2022年に制度存続が議員立法による延長がされましたが、同問題の議論の際に厚労省はあまり申請者も増えていないという説明を関係国会議員へ喧伝して実質的な制度廃止を目論見ました。しかし、私たちの要望を踏まえ議員立法によって請求期限が延長されました。請求期限延長後の同制度における支給決定件数は前年度比448パーセント増の170件(令和4年度)となりました。これは私たちを含む患者団体・患者支援団体等が相談事業などに力を入れた結果です。民間部門と連携や支援もしようとせず、「周知に努める」などと言っているだけの行政単独の取り組みにいかに限界があり、それでは被害者救済がはかれない実態があるかを慎重に認識してください(当然、民間部門の取り組みでも限界があり、法的権利の延長は必須です)。
2005年のクボタショック後の石綿疾病労災請求の激増。その後の、特別遺族給付金の請求が常時発生、継続している状況が示すとおり、厚生労働省による、業界団体、医療機関を使った「周知」は、時効事案の発生を防止できないことを証明していること、加えて、胆管がん事件等の職業がん事件が示すとおり、遅発性疾病において時効が発生する構造を変えることはできないという事実にもとづき、労災補償制度においては請求権の時効を原則撤廃することが適切であるというのが、2005年以降の労災補償史における私たちの総括です。
2-2 時効になってしまう方の実例
休業補償と葬祭料が時効になってしまった事例を紹介します。
事例1
茨城県に住んでいた被災者のAさんは2016年8月(当時60代)に肺がんを発症し、2017年の2月に死亡しました。療養中は「どうすれば生きることができるのか」を考えるばかりで、治療のことで本人も家族も頭がいっぱいでした。ただ、一度だけ、主治医に「肺がんの発症とアスベストは関係ないか?」と確認しましたが、医師は喫煙歴を理由に関係ないと本人と家族に伝えました。労災請求には請求書に「医師証明」が必要です。必ずしも関連性を証明する必要はありませんが、医師の中には証明できないという方もいますし、一般的に、医師から関連を否定されているにもかかわらず医師証明を依頼する根気のある患者さんやご家族はほとんどいません。
被災者の死亡後も遺族は時々気になっていましたが、被災者のアスベストばく露が疑われる業務上の期間はわずか2ヶ月(自動車整備業)であり、本人から具体的な話を聞くこともできず、ただただ時間が経過するだけでした。そんな中、2022年に入ってから遺族が新聞報道をきっかけにアスベスト健康被害との関連が改めて気になり、当会へ相談。2022年2月に労災請求をしました。この時点ですでに休業補償と葬祭料は時効となっていました。当会の支援(医師証明の取得方法や認定のための石綿ばく露の立証方法等)にもとづき2023年2月に労災認定されました。
事例2
東京都に住んでいた被災者のBさんは2014年12月(60代)に肺がんを発症し、2021年9月に死亡しました。生前、医師からアスベストとの関連について指摘はありませんでした。また、喫煙もしていたことからタバコが原因の肺がんと考えていました。しかし、治療が経過する中で自身が長年、建設業に従事していたことからアスベストとの関連を疑うようになりました。ただし、発症当時は社長として自身の会社を経営していたので、労災の対象とはならないと認識し、救済制度の申請をしました。残念ながらBさんは結果を聞くことなく他界されました。Bさんの死亡後に遺族が結果を受け取ったものの不認定でした。通常、「救済」制度で認められなかったものが、ましてや労災で認定されるはずがないと多くの方は考えます。幸いにご遺族が当会へご相談してくださり、労災請求を支援しました。2022年7月に労災請求し、時間がかかりましたが2024年6月に労災認定されました。
上記の事案は仮に休業補償の請求期限が5年に延長されても時効となりますが、私たちがお伝えしたいのは、このような方々の事例はアスベスト健康被害においては決して例外的事案ではないということです。その意味で、被害の実態や背景を十分に考慮しないと適正な給付を受けられない被災者がいることを委員の皆様が考えている以上にいることを認識してください。
2-2 傷病手当金とのはざまで苦しむ事例
北海道に住んでいたCさんは2018年3月に肺がんを発症。被災者は長年、左官工として石綿にばく露していたことから診断後、医師に対して石綿関連の肺がんかどうか尋ねましたが否定されました。参考までにお伝えしますと、Cさんが通院していた医療機関は北海道でも有数の肺がん治療実績のある病院でした。発症から3年以上経過した2021年12月にアスベスト被害の相談を受け付ける報道をきっかけに私どもに相談して同月、労災請求に至りました。この時点ですでに休業補償の権利が一部、時効になっていました。その後、2022年3月に被災者は死亡。6月に遺族が労災認定の通知をうけました。
しかしここで大きな問題が生じます。Cさんは発症時から傷病手当金を受給していた関係から、遺族が傷病手当金の受給金額の約300万円の返還を協会けんぽから求められました。返還にかかる時効は、労災決定時からが起算点になります。以下に傷病手当金と実際に支給された休業補償の対象期間と支給額を示します。
・傷病手当金支給期間:2018年(平成30)7月5日〜2019年(令和1)12月2日
※支給金額の合計は約300万円
・労災保険給付請求日:2021年(令和3)12月27日
・休業補償給付(労災)支給期間:2019年(令和1)12月27日~
※2021年(令和3)12月26日までの休業補償給付額は約600万円。2022年(令和4)3月に被災者逝去。2022年(令和4)6月に労災支給決定。
傷病手当金も労災保険制度も、怪我や病気になった方々の生活を保証するために運用されているにもかかわらず、Cさんの場合は労災が認定されたら問答無用に支給された傷病手当金の返還を求めるという現行制度の運用によって、2018年(平成30)7月5日〜2019年(令和1)12月2日の期間の療養に対する社会保障がないことにされてしまいました。
極めて深刻な問題であり、厚生労働省には再三、本件に関する問題提起をしていますが、保険部門は現行の法律がそうなっている、補償部門は時効の意義(請求期間が延長すれば立証が難しくなる)を述べるだけで実際に困難な状況におかれている被災者の状況を改善する努力を一切していません。
他方、医療費(療養手当)は平成29年2月1日付基補発0201第1号「労災認定された傷病等に対して労災保険以外から給付等を受けていた場合における保険者等との調整について」において、「療養の費用の支給を受ける権利は、原則、療養の費用を支出した都度(又は当該費用の支出が具体的に確定した都度)発生し、それぞれその翌日から当該費用ごとの療養の費用請求権の時効が進行することとされている。この点、健康保険等からの切替の場合については、保険者又は機構から返還通知(納入告知)がなされるまで、被災労働者等は保険者又は機構への療養の費用の返還義務(具体的な返還額を含む。)を知り得ないものであることから、従前どおり、保険者又は機構から費用の返還通知(納入告知)があったときを当該費用の支出が具体的に確定した日として取り扱うこと。」とされています。したがって、療養手当だけは実質的に時効はない構造になっていて、基本的に休業補償もこの考え方に合わせるべきです。
請求期限が延びれば業務起因性の立証が難しくなると言うのは一般論としては理解できますが、アスベスト労災認定(時効救済含む)の実績をみれば、それが詭弁であることは明らかであり、本来の被災者救済の観点から言えば厚労省の勝手な言い分にすぎません。
Cさんの事例も含め、このような事例の発生によって一番の旨みがあるのは「事業主」です。本来、労災保険積立金から支給されるべき給付であり、傷病手当金の問題が絡むと協会けんぽも旨みがあります。本人に必ずしも非があるとは言えないこのような問題で、結果的に全ての責任を被災者と遺族に負わせている現実があります。
Cさんの問題は仮に休業補償の時効が5年であれば生じなかった問題です。ただし、AさんやBさんの事例があるように5年にすれば良いという問題ではありませんが、このような被災者の現実があることを踏まえて時効の延長をして少しでも制度のはざまで困難を抱える被災者がいないようにすべきです。そのための議論をお願いします。
また、時効の延長をした場合でもCさんのような返還問題は生じます。傷病手当金の返還が求められた場合において、労災保険制度から同一期間の給付の支給がない場合は労災保険制度が返還を立て替えるなどの対応が必要です。そうでなければ、総体としての事業主が不当に恩恵を受ける構造は変わりません。
3 給付基礎日額(平均賃金)の是正と傷病手当金
給付基礎日額に関しては2025年2月21日に開催された第3回研究会の資料3でも問題構造について基本的な事項は触れられています。
アスベスト関連疾患は遅発性疾病であることから、若年時の業務に起因する場合は相対として低賃金時代の給与等をもとに給付基礎日額が算定されます。発症時に現役世代などの場合は発症前の収入を大きく下回る場合があり、発症時の収入状況を考慮すべき被災者もいます。
また、特別加入者の中には10年以上にわたって例えば1万円の日額で申請していた者が最終的な1年程度のわずかな期間だけ5千円等に変更していることもあり、そのようなタイミングの後に発症した場合、給付基礎日額は5千円にされます。被災者が負担していた実績を考慮するとあまりにも不当な扱いであり是正が必要です。
さらに、非常に深刻な問題として、若年時ばく露にともなって想定される給付基礎日額が定額なために、傷病手当金の受給額が上回ることが想定されるため、労災請求をためらっている被災者、決定直前に請求を取り下げる被災者もいます。これは社会保障のあり方としてはいびつで、この問題においても総体としての事業主が不当に恩恵を受ける構造になっています。例えば、同一期間において休業補償よりも傷病手当金の支給額が上回る場合は差額支給するなどの対応が必要です。結果的に、このような不透明な状況に置かれる被災者の休業補償や遺族給付の時効は刻一刻と権利が消滅していってしまいます。