腹膜中皮腫の発症から丸10年:フツーの生活はつづくよどこまでも
公開日:2024年5月1日
執筆:南九州支部 U・A
※本執筆は、患者の体験をもとに個人の感想として執筆しています。治療選択など、医療に関わる問題については主治医をはじめ、通院されている病院の「がん相談支援センター」など、医療関係者との相談を踏まえてご検討ください。
腹膜中皮腫の発症から丸10年
先日40歳になりました!腹膜中皮腫を発病したのは30歳の時だったので、丸10年になりました。中皮腫患者の中では長期生存者ということになります。まだ40歳ですが。宮崎で仕事と育児に追われるお母さんです。
これまでの経過
2013.06 不妊治療開始(レディースクリニック)
2013.12 少量の腹水がみつかる(レディースクリニック)
2014.01 腹腔鏡手術(子宮内膜症の治療、腹腔内に米粒程の腫瘍が無数にみつかる)
(レディースクリニック)
2014.05 腹膜中皮腫と診断(がん研有明病院)
2014.06 開腹手術(根治目的の手術も、手を付けられず閉腹) (宮崎県立宮崎病院)
2014.07 セカンドオピニオン(がん研有明病院)
血液検査・造影CT・自覚症状が無い為、経過観察
2015.06 第一子出産(宮崎県立宮崎病院)
2015.11 サードオピニオン(ひらの亀戸ひまわり診療所)
2019.07 第二子出産(宮崎県立宮崎病院)
大した治療はしていない為、大まかな経過になりますが、人生経験の浅い私の心は、大きく浮き沈みました。「他人と比べたらいけない」とよく上司に言われますが、そんな大きな器を持ち合わせているはずもなく、日々、他人と比べ悲観していました。他人と比べない人なんているんだろうか・・・、疑問に感じでいます(職場だって評価があり、職位があるわけで・・・)。無治療の為、参考になることはありませんが、今回は自分の意志決定について書きたいと思います。
無治療を選択と出産
30歳で無治療を選択しました。それから10年が経ち、結果論で良かったと言えますが、30歳で無治療の選択をすることは、あまりに無謀だと思います。家族は私が決めたことを応援すると背中を押してくれましたが、医師は反対していました。標準治療である抗がん剤はした方がいいのではと・・・。腹腔内に米粒程の腫瘍が無数に散らばっており、手を付けることさえ出来なかったと言われ、余命には触れられませんでした。
発病当時は中皮腫に関する情報を集めることさえ難しく、ましてや腹膜となれば、ほとんど情報は得られませんでした。結婚して2年、まだ子どもも居ない自分に、短期間で決断しなければならないことが多々ありました。そのような中で無治療を選択した理由は、腫瘍が小さく、造影CTに写らなかった為、抗がん剤治療をしても効果を判定することが出来ない点がひっかかり、無治療を選択しました。また、腹膜は胸膜に準ずる形の治療しかなく、有効な治療法が確立されていなかったことも理由の一つです。
発病後、子どもを二人出産しましたが、どちらも堕胎をすすめられました。
第一子は、開腹手術の4か月後、経過観察中に妊娠が判明しました。余命もわずかと思われていた為、外科の主治医は納得していないようでした。この時は、1年あれば出産出来るし、生まれた赤ちゃんのことは家族が何とかしてくれると思い、妊娠継続の決断をしました。赤ちゃんが歩き始める頃まで側にいれるかなという気持ちでした。
発病後、全ての検査において変化が無く、経過観察を続けていましたが、第二子妊娠前の2018年秋の造影CTで、石灰化が見られました。身体の中で何かが動き出したようで、1年間隔の造影CTを、その年の冬に再度行い、本格的に治療に入ろうとしていた時に妊娠が判明しました。この時は、娘に兄弟をという気持ちが強く、妊娠継続を希望しました。親亡き後、姉弟で力を合わせて生きて欲しいという想いがあったからです。出産後は、出来る治療は全て受け、少しでも長く生きたいという気持ちが強くなりました。
医療者とのコミュニケーションを踏まえた後悔しない意思決定
医師や家族の意見に耳を傾けつつ(あまり医師の助言を受け入れてないように感じた方もいるかもしれません。外科の主治医でしたが、子宮の周りにも腫瘍があった為、婦人科も受診していました。婦人科の医師は出産に前向きで、いつも寄り添ってくれました。数年前に外科の診察は無くなり、婦人科の医師が主治医となりました!もう10年越えの付き合いになります)、最後は自分で意思決定をすることで、後悔をなるべく少なくしたことが、現在に繋がっているのかなと思っています。
病状が落ち着いている今、少しでも長く共存していけたらいいなと思い、私が心がけていることは、病気に心を支配されること無く、出来ることはとにかくやる!!仕事と育児でテレビを見る余裕もお金も無いですが、今生きている時間を大切にしています。若くして発病したことで、日常の当たり前は幸せなことだということに30歳で気付けたこと。この10年を大切に生きてこれたことに感謝しています。
最後に子どもの近況をお話しさせて下さい。
第一子(娘・小2)は小学校まで1.7㎞の道のりを30分かけて登校しています。華奢ですが、身体は強く成長し、残りの家族全員がコロナに感染しても、一人だけ感染しませんでした。恥ずかしがりやで大人しく、涙が出ることも多々・・・。ピアノ(練習が嫌)、スイミング(週2回・アリエルのように泳ぎます)、書道(始めたばかりで手は墨だらけで帰宅)を頑張っています。
第二子(息子・年少)は何事にも全力!猪突猛進で、後ろを振り返ることはありません。何でも一番でないと気が済まず、姉からも一番を譲って貰っています・・・。人懐っこく、誰にでも話しかけます・・・。迷子になっても、迷子になったことに気付かないので泣きません・・・。周囲を笑顔にしてくれる、元気いっぱいの男の子です。
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