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建設アスベスト訴訟の到達点と全面解決に向けて

更新日:2023年5月22日

公開日:2023年5月16日

執筆・清水謙一
(建設アスベスト訴訟全国連絡会事務局長)

建設アスベスト訴訟とは

アスベストを原因とする労災認定数はクボタショック後、毎年1000人前後で今日まで推移してきました。この中で、建設業従事者は、全就業者の1割以下にもかかわらず、労災認定数で5割以上、最新の厚労省の発表(令和3年度)では、6割に及ぶ認定者を占めています。この建設業におけるアスベスト被害の集中は、国と建材メーカーによるアスベストの危険性を現場に知らせず、必要な安全策も取らずに利益を追求してきたことにその原因があることは明らかです。

建設アスベスト訴訟は、広がる建設業従事者のアスベスト被害に対して、国とアスベスト建材メーカーの被害者への真摯な謝罪と賠償を求めるとともに、勝利判決の力によって国と建材メーカーからの拠出による全ての建設アスベスト被害者への補償基金の創設や国のアスベスト対策の抜本的な転換を求める政策形成訴訟として、2008(平成20)年から取り組んでいる集団訴訟です。裁判は最初の提訴の首都圏(東京・神奈川第1陣)から、今では札幌、仙台、埼玉、東京、横浜、京都、大阪、岡山、高松、福岡の各地裁に広がり、原告数で約1100人以上になる訴訟です。裁判は被害者、遺族の自らの命を懸けた闘いによって、13年を経て、2021(令和3)年、東京・神奈川・京都・大阪各1陣訴訟の最高裁判決によって基本的な勝利を勝ち取ることができました。

国と建材メーカーの責任を認めさせた最高裁判決

建設アスベスト訴訟の最初の判決は、2012(平成24)年5月25日、横浜地裁においてでした。判決は国・建材メーカーの責任をともに認めず、原告側の全面敗訴となりました。原告たちの落胆は大きく、涙と悔しさの中での報告集会となりました。国の責任を初めて認めた判決は、同年12月5日の東京地裁判決でした。判決は、労働者として労災認定を得ていた原告に対する国の責任を認めるものでしたが、原告数で半数弱を占める一人親方や小零細事業主は、労働者ではなく労働安全衛生法の対象ではないと敗訴し、建材メーカーの責任も否定されました。

その後、最高裁判決に至るまで地裁、高裁の17回にわたる判決がありました。建材メーカーの責任を初めて認めたのは、2016(平成28)年1月の京都1陣京都地裁判決でした。一人親方等への国の責任を認めたのは、さらに時間がかかり2018(平成30)年3月の東京1陣高裁判決でした。こうした下級審での判決を一つ一つ積み重ね、2021(令和3)年5月17日の最高裁判決に至ります。

建設アスベスト訴訟最高裁判決

最高裁は、判決に至る前の2020年12月から2021年3月にかけ、東京・京都・大阪の各1陣訴訟について、上告受理・不受理の決定を出し、国の上告を基本的に認めず、一人親方等に対する国の責任を認めた高裁判決が確定しました。また、京都・大阪各1陣についての決定で、高裁で責任が認められた建材企業の多くの上告受理申し立てを認めず、それぞれの建材で高いシェアを有する建材企業の共同不法責任を認めた高裁判決が確定しました。

最高裁決定で原告への賠償が確定した建材企業(10社)※

エーアンドエーマテリアル、神島化学、日鉄ケミカル&マテリアル、大建工業、太平洋セメント、ニチアス、日東紡績、バルカー、ノザワ、エム・エム・ケイ
※2022年2月9日、上記建材メーカーに加えて、ケイミューの責任が最高裁で確定しました。

最高裁判決は、国の違法期間(1975年10月1日以降2004年9月30日:石綿吹付け作業に関しては1972年10月から)や違法事由(防じんマスク着用義務付けと建材への適切な現場掲示を含む警告表示義務付けを怠ったこと)を明らかにし、一人親方等に対する国の責任を認めました。建材メーカーについても同様です。

しかし、屋根工や外装材取り付け作業者等の屋外作業者に対する国の責任は予見可能性がなかったとして否定、さらには違法期間が短すぎること、解体工など築後数十年を経て作業を行う作業者への建材メーカーの責任を否定するなど、原告間に差別を持ち込む不十分な点を残しました。

建設アスベスト給付金制度を実現できた要因

最高裁判決の翌日、菅首相(当時)は原告・弁護団代表、全国連絡会代表を官邸に招き、国の責任を認め、深々と頭を下げ謝罪しました。同日夕方には、国(田村厚労大臣・当時)と原告団・弁護団、全国連絡会と基本合意書が結ばれました。基本合意書は、①国の謝罪表明、②地裁・高裁段階の係属訴訟での国との和解、③原告と同じ被害の原告でない被害者の救済、④建材メーカーの責任の在り方等全国連絡会との継続協議の4項目を定めたものです。

建設アスベスト訴訟基本合意

この基本合意を受けて、第3項(③)の原告と同等な被害者の救済を図る新法として、同年6月9日には、「特定石綿建設業務労働者等に対する給付金等の支給に関する法律(略称:建設アスベスト給付金法)」が全会一致で成立しました。最高裁判決後わずか23日目の法成立であり、国会会期末を目前にした「前代未聞」(吉永労基局長:当時)の離れ業でした。

同法は、第1条「趣旨」で「国の責任が認められた者と同様の苦痛を受けている者について、その損害の迅速な賠償を図るため、………給付金等の支給について定める」と給付金の性格が「国の違法に基づく賠償金」であることを明記しています。また、救済方式として、提訴して個別に和解をはかる方式か、行政への申請での認定方式かは厚労省との協議で大きな課題でした。結果としては、与党PTの力添えもあり、「迅速な賠償」を図るため、被害者・遺族が「支払基金」に申請する行政認定方式が採用されました。昨年1月には建設アスベスト給付金の認定審査会が設置され、今年3月までに計3565人が認定されています。原告の約9割が判決及びその後の和解によって国から賠償金・和解金が支払われているので、救済を図られた建設アスベスト被害者は4500人に達すると推計されます。法案審議の中で厚労省は今年3月までに最大1万1500人程度の給付金支給を想定していると答えています。その想定からみればまだ3割程度であり、今後も被害の掘り起こし、給付までの運動団体のかかわり等が必要です。

2020年12月の国の責任を確定させた最高裁決定から最高裁判決までの半年間、全国連絡会と厚労省労働基準局、自民党および与党建設アスベストPTと度重なる協議を行ってきました。原告被害者の声を繰り返し国会に届け、国の責任で救わなければとの思いを強く持つ与党内の勢力を作ること、野党の国会質問等を経て、集中した国会対策が経験的に重要な経験だったと思います。

建材メーカーとの新たな闘いと残された課題

建設アスベスト訴訟は、2008年の首都圏提訴から13年余りを経て、国との裁判上の全面的勝利、係属訴訟も含めた和解、未提訴被害者の救済システムの創設と法制定という歴史的な成果を作り出すことができました。

しかし、建材メーカーは現在まで、最高裁で断罪されたニチアスなど被告建材メーカーは、今なお裁判で原告と争う姿勢を変えていません。昨年6月には新たに建材メーカーだけを被告とする訴訟を提訴しました。司法によって断罪された建材メーカーは、一日も早く訴訟を終結させるために、原告等全国連絡会と真摯な協議に応じ、原告への直接の謝罪はもちろん、原告以外の被害者の救済を含めた解決に当たることが当然の社会的責務です。

建設アスベスト訴訟メーカー責任

建設アスベスト被害の全面解決には残念ながらまだ時間がかからざるを得ません。私たちは決してあきらめず、原告被害者とともに、闘いを進めます。

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