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赤松たえさんを偲んで:大阪・泉南アスベスト国賠訴訟から建設アスベスト給付金の成立へつながった功績

公開日:2023年4月1日

執筆:弁護士 村松昭夫
(大阪アスベスト団団長/大川村松・坂本法律事務所/大阪弁護士会)

先日、「大阪・泉南アスベスト国家賠償訴訟」の原告であった赤松たえさんが亡くなられたことを知りました。このところ、集まりや法廷傍聴等でお会いする機会がなかったことから少し心配していたところでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

大阪泉南アスベスト訴訟

ところで、たえさんと夫の四郎さんの温かみのある夫婦仲は、フジテレビのザ・ドキュメント「おじいちゃんの遺言〜ボクとあんたの人生最後の3か月〜」や「ニッポン国VS泉南石綿村」でも取り上げられ、たえさんのどこかとぼけた雰囲気や、少しはにかむような笑い顔が印象的でした。天国でも四郎さんと味のある夫婦を楽しんでほしいと思っています。

余り知られていませんが、以下では、赤松夫婦が、アスベスト救済の前進に大いに貢献されたことを紹介します。

四郎さんは泉南アスベスト国賠訴訟の2陣原告でした(死亡後たえさんが裁判を引き継ぐことに)。2012年3月の2陣地裁判決は、前年8月の1陣高裁全面敗訴後の反撃の第一歩となった勝利判決でしたが、勝ったとは言っても、国の違法期間は昭和46年まで、国の責任割合も3分の1という不十分な内容でした。当然のことに、原告側はこの不十分性を是正するために控訴しました。

実は、四郎さんは、2陣原告では、唯一昭和47年以降に石綿工場で働きだした方でしたので、地裁判決では全面敗訴となっていました。

しかし、たえさん自身、敗訴のショックなどもあったからか、弁護士の説得ではなかなか控訴する意思を示してくれませんでした。そのため、弁護団は、赤松さんの控訴を半分は諦めかけていました。そうなれば、2陣高裁で昭和47年以降の国の責任を正面から問うことが出来なくなり、ひいては1陣原告で昭和47年以降に就労を開始した方の最高裁での逆転勝訴も危うくなるという状況でした。

そこで、弁護団は、この事態を「勝たせる会」の場で原告団の役員の皆さんに話しました。すると、役員の方々から、どうしてそんな大事なことを今まで話してくれなかったんだと厳しく叱責され、役員の皆さんは早速たえさんに会って、控訴することを説得してくれたということがありました。

そして、それが昭和47年以降の国の責任も認め、国の責任割合2分の1という高水準の2陣高裁の勝利判決に結実しました。もし、役員の皆さんの説得とたえさんの控訴の決断がなかったら、昭和47年以降の国責任はその時点で事実上問うことができなくなり、国の責任割合を2分の1に引き上げることもできなかったと思います。

というのは、2陣高裁判決は、国が昭和47年以降もやるべき規制を行わなかった(国の怠慢)ということを、国の責任割合を3分の1ではなく2分の1に引き上げる大きな理由にしていたからです。最高裁は、最終的には昭和47年以降の国の責任を否定しました(そのため、赤松さんは再逆転で敗訴)が、国の責任割合2分の1は否定しませんでした。

このことが、泉南アスベストの被害者の救済はもちろん、その後の約1000名の工場型被害者の救済の基準となり、建設アスベスト訴訟でも、国の責任割合を3分の1ではなく2分の1とした唯一の判決である大阪1陣高裁判決に繋がり、最終的には、建設アスベスト訴訟の約1000名の原告の和解水準となり、建設給付金法が国責任2分の1を前提にした制度に繋がっていきました。

あの時に原告団の役員の皆さんの説得とたえさんの決断がアスベスト被害者の高水準の救済に大いに貢献したことは間違いありません。たえさんが亡くなられたこの機会に、赤松夫婦がアスベスト被害者の救済の前進に大いに貢献されたことを、皆さんのご記憶に止めておいていただきたいと思い、少し長くなりましたが、書かせていただきました。

弁護士としては、四郎さんとたえさんが、天国で、このことを回りの方々に自慢してもらったらとも思いますが、そんな自慢話をするようなご夫婦でないことは皆さんもご存じの通りです。

安らかにお眠りください。合掌。

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