お知らせ

お知らせ

悪性中皮腫の基礎研究に取り組んで

公開日:2022年12月12日

※「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」は、「中皮腫を治せる病気」にするために石綿健康被害救済小委員会などにおいて政策提言をおこなっています。本稿は、実際に治療研究の現場で日々ご尽力してくださっております研究者のみなさまの取り組みを、患者・家族のみなさまにご理解をいただきたく、寄稿を頂いたものです。「中皮腫を治せる病気」にできる日が一日でも早く迎えられるよう、それぞれの関係者の役割に対する理解をさらに深めていただくことにつながることを期待しています。

I.  石綿問題、悪性中皮腫患者さんとの出会い

関戸好孝(アスベスト、中皮腫)

私が悪性中皮腫という難治性の腫瘍に関心を抱いたきっかけは、大学の学生時代にさかのぼります。名古屋大学の医学部の3年生の時、昭和57年でしたが、衛生学の実習で名古屋市南区にある自動車のブレーキやクラッチのリサイクル工場に訪れました。当時はまだクリソタイルの工業的な利用が認められていましたが、講師の久永先生の指導のもと作業員の方にお願いして吸引エアフィルターを肩口に装着して頂きました。腰につけた小型ポンプで空気を吸引し、作業員の方が吸い込むアスベストをフィルターに集め、アスベスト数を計測しました。たった一日限りの学外実習でしたが、石綿曝露について本当に強い印象を受けました。

アスベスト:自動車のブレーキやクラッチのリサイクル工場

大学を卒業後、市中病院にて一般研修を行い専門として呼吸器内科学を選びました。呼吸器疾患に非常に興味を感じていたのが動機です。4年目から名大の大学院に入学したのですが、入学直後、岐阜の高山久美愛病院に3か月間の短期赴任を命じられました。病院では呼吸器疾患の患者さんの主治医を務めさせて頂き、その中には2名の悪性胸膜中皮腫の患者さんがおられました。平成元年のことですから、まだ良い治療薬もほとんどなく疼痛緩和しかできなかったのですが、そのお二方の顔は今でも鮮明に覚えています。ひと方は年配の男性の方、もうひと方はまだ中高生の娘さんがおられる女性の方でした。お二方とも「この病院には呼吸器の専門の先生がいないので、先生に診てもらいたかった」ということをおっしゃっておられました。私自身、駆け出しの呼吸器内科医で本当に短期間でもあり、お二方の期待に十分に応えられなかったことを今思い出しても心苦しく感じます。

II. 悪性中皮腫の基礎研究に取り組んだきっかけ

大学院では4年間、肺癌の基礎研究を行いました。大学院を修了後、米国テキサス州のダラスにあるテキサス大学サウスウエスタンメディカルセンターに留学しました。肺癌の原因遺伝子研究で高名なJohn D. Minna (ミンナ)博士の元でポスドクとして働きました。フロアの隣には肺癌の病理で有名なAdi F. Gazdar (ギャズダー)博士がおられました。

当時は、肺がんの原因遺伝子の同定が研究室の最も大きなテーマでした。神経線維腫症2型の原因遺伝子として同定されたNF2遺伝子の研究を肺癌で開始したのですが、少数の悪性中皮腫の検体も解析に加えていたことが幸運でした。1995年にNF2遺伝子異常が悪性中皮腫において高頻度に起こっていることを世界で最初に発表しました。NF2遺伝子は悪性中皮腫で変異が生じているがん抑制遺伝子の中でも代表的なもので、今でも1995年に発表した論文が引用されています。この発表が、その後、今までに続く私のライフワークとしての悪性中皮腫の基礎研究の事実上の出発点となりました。

1998年に帰国してから、基礎研究者として生きる道を選び、名古屋大学において肺癌をメインに、そして中皮腫をサブメインとして研究グループを立ち上げました。

III. 愛知県がんセンターでの取り組み

2005年に愛知県がんセンター研究所の部長として着任しました。最初は引き続き肺癌をメインに研究を行おうと考えていましたが、同年夏にクボタショックが起きました。これを契機に研究室の中心テーマを悪性中皮腫に徐々に切り替えてきました。当時、国内で悪性中皮腫の細胞株を樹立していたのは私の研究室を含めわずかで、そのことも、大きな研究の推進力となりました。

実は、愛知県がんセンターに着任直後、「肺癌とともに悪性中皮腫も研究を行いたい」と当時の研究所長に申し上げたところ「悪性中皮腫?そんな発症数の少ない腫瘍にどうして取り組むのか?患者数が増えているのか?」と言われました。クボタショックで悪性中皮腫が社会問題として取り上げられなかったら、悪性中皮腫の研究をその後続けられたかどうかわかりません。

取り組んだ研究テーマは、悪性中皮腫の原因遺伝子の同定、悪性中皮腫の細胞株の樹立、悪性中皮腫細胞の特徴の解析などです。原因遺伝子としてはLATS2 (ラッツ2)がん抑制遺伝子が悪性中皮腫の原因遺伝子の一つであることを発表しました。さらに、国際共同研究で悪性中皮腫の包括的なゲノム・遺伝子解析にも参加し、その成果を2018年に発表しました。細胞株は30株を樹立し、数多くの大学、研究機関、製薬会社に提供し、研究材料として大きく活用して頂きました。

IV. 悪性中皮腫の学会活動について

日本肺癌学会の悪性胸膜中皮腫小委員会は3期にわたって委員を務めさせて頂き、悪性胸膜中皮腫の診療ガイドラインの作成に携わらせて頂きました。小委員会では患者会から右田孝雄さん、そして惜しくも亡くなられた栗田英司さんとご一緒することができました。

2019年2月に日本中皮腫研究機構と石綿・中皮腫研究会が合同し、日本石綿・中皮腫学会 (JAMIG)が誕生しました。2019年9月に記念すべき第1回の学術集会を愛知県がんセンターで会長として開催させて頂きました。市民公開講座も企画し、オーガナイザー・司会を務めさせて頂きました。

日本石綿中皮腫学会

2021年からは 兵庫医科大学の長谷川誠紀教授の後を継ぎ、第2代の理事長として務めさせて頂いております。2022年には理事会からの声明文「悪性中皮腫に対する既存の治療薬の適応拡大と、さらなる診断・治療法の開発研究に対する公的支援を要望いたします」も取りまとめさせて頂きました。

悪性中皮腫の国際学会は iMig (international mesothelioma interest group)(和訳は難しく、私は“世界中皮腫学会”と呼称しています。) があります。iMigの学術集会は隔年で開かれており、私は2006年から毎回参加させていただいています。現在、評議員も務めさせて頂いており、評議員はアジアでは私を含めて2名のみです。iMig学術集会では各国の患者・家族団体の参加や交流も盛んですので、日本の患者・家族会の方々にもご興味をもって頂ければと考えております。

V. 基礎研究の重要性と困難さについて

がんの研究は、様々な人の病気の研究の中でも最先端を走ってきました。がんの研究により、遺伝子、免疫、ウイルスなど、他の多くの分野の発展にも貢献をしてきました。がんは遺伝子の異常によって生じることが明らかとなり、そして、分子標的薬や免疫治療薬などの開発につながってきました。

一方、がん研究は成熟した学問とも見なされ、「新しい診断法や治療法の開発につながらない研究は意味がない」というような風潮も現在あります。しかし、がんはまだわかっていないことが多く、悪性中皮腫を始め、その本態の解明、新たな疑問に対する回答を得るためには基礎研究は欠かすことができません。特に、基礎研究はまったく未知のことを発見することが使命ですので、多くの失敗の後にようやくその成果がでるかどうかという難しさがあります。仮に発見があったとしても、それが臨床に応用できるかどうか誰にもわかりません。

肺がんなど頻度の高い癌は、基礎研究・臨床研究を取り組む医師・研究者が途絶えることはないと思います。患者さんが多く研究の動機づけになりますし、多くの製薬企業も注目しています。一方、悪性中皮腫の研究、特に、基礎的な研究を行っている研究者は、研究継続のためには本当に多くの困難さがつきまといます。患者・家族の皆さんには以下の2点について、私の考えをお伝えしたいと考えております。

1点目は研究者の数についてです。クボタショック以降、十数年が過ぎ、中皮腫に興味を頂き研究に取り組んでいこうという中堅・若手の研究者が少なくなってきています。これは、私達の指導力やアピールの不足にもよるかもしれません。他の頻度の多いがんでは、多くの研究者、臨床家が参加しており、目をみはるような成果がしばしば出ています。

しかし、稀少がんである中皮腫はなかなかそういうわけにはいきません。どうしても他のがん研究で出された成果の後追いの部分も多いです。また、極めて地道な研究も必要です。そういった研究の派手さのない面もあり、悪性中皮腫の研究、なかでも基礎研究を目指そうという中堅・若手の研究者が少なくなってきていると感じています。また、世界の中皮腫研究者から本当に認知され信頼を得ている日本人の研究者・臨床家は、現在、私は何名か存じ上げています。しかし現状のままでは、うまく研究者が世代交代し、世界的にも日本のステータスを維持できるかどうか、心から懸念を抱いています。

2点目は研究費についてです。ただでさえ人数の少ない中皮腫研究者にとって、研究費は研究を維持するためには必要不可欠です。研究費が獲得できなかった研究者、研究グループは中皮腫、アスベストの研究自体をやめて方向転換をしてしまう場合もあります。私どものような研究スタイルでは、世界レベルの研究を行おうとすると、年間に1000〜2000万円ほどの研究費がどうしても必要になります。実験に用いる試薬、解析キット、プラスチック器具などの消耗品、実験動物(マウス)などがまず必要です。最近では、外部に委託してさまざまな解析を依頼することがありますが非常に高額です。

また、嘱託の研究員や実験補助員を雇用しようとすると、一人あたり年間相当な額が必要となるのは申すまでもないことと思います。さらに、国際学会への参加・出張費も獲得した研究資金より捻出しますのでヨーロッパで開かれる学会に参加するためには一人あたり1回数十万円必要です。また、海外の学術誌に投稿することが成果発表の一つとして重要ですが、これにも費用がかかります。私どもが最近発表した論文は掲載料等を含め40万円ほどかかりました。

以上のように、人の問題、資金の問題は、悪性中皮腫の基礎研究にとって現在切実な問題であると感じております。

VI. 最後に

日本の中皮腫医療の貢献と同時に、世界の中皮腫医療にも何とか貢献したいというのが私の希望です。中皮腫に関わらずどの腫瘍の研究領域でも、日本は世界の医療開発をリードする役割を果たすことが求められている国であると信じております。

悪性中皮腫の基礎研究者であることから、患者・家族の皆様とは臨床の先生方と比べて距離が遠く感じておりましたが、このような寄稿の機会を与えて頂いたことに心よりお礼を申し上げます。

 

執筆:愛知県がんセンター研究所副所長・分野長 関戸好孝

24時間365日受付

中皮腫・アスベスト被害全国無料相談

当サイトへのご相談・お問い合わせはこちらからご連絡ください。

中皮腫・アスベスト被害全国無料相談

0120-117-554

24時間365日受付